<道場開き、笑顔が一杯の記念撮影>

記念集合写真

「お蔭様で」             中尾眞吾/支部長/五段
  昨年の師走の22日に「せいぶ館」の道場開きを無事に終える事が出来ました。お蔭様で、陽気で楽し
く、かつ盛大な式典が行え、「震
災の街」の明るいニュースにもなりました。
遠藤先生の「初稽古」には、道場の底が抜けるのではないか、と思うほどの人で一杯になり、ええ汗を流
せました。
「男はラッセルだヨ。雪深い中を先頭に立って、雪を掻いて進んで行くんだヨ」と、教えて下さった佐藤
先生。福島から奥さんと駆けつけ
て下さいました。
私達のお仲人の今井先生。「例えば地域の人達が公民館が欲しい時‥‥その地区の人々がアイデアを出し、
お金を用立て、汗をかいて、作
っていく‥‥。又他方では、役所に要望書を出す‥‥。あなた方は、どちらの方法を選びますか?」二十
数年前に出会った、お二人の先生のさりげない一言が、「白蘆林」を建てる大きなきっかけになりました。
何やかや、色々の事があって、もうすぐ五十歳、「天命を知る」五十歳。
「白蘆林 せいぶ館」は歩き出しました。永昌寺の方丈さんのおっしゃられた「威儀即仏法」の言葉を胸に、
ちょっとでも「マシ」な人間に‥‥
さア気合を入れるぞ!本当に皆さん、ありがとうございました。又これからも応援をお願いします。

せいぶ館道場開き(平成8年12月22日)ご来賓の挨拶

遠藤師範演舞建物写真
遠藤征四郎様/本部道場師範/七段
  先ず、ご挨拶を申し上げます。おめでとうございます。本当にその一言しかありません。
ここまで、色々の方々が助け合って、こういうことになっていったと思います。
私も一昨年同じような経緯で、道場を作らせて頂きました。あるいは、中尾さんより楽だったかも知れま
せんが、本当に作らせて頂いたという気持ちですね。
これから皆でどう支えていくか、ということが問題になると思いますが、決して悪くはならないと思いま
す。
私が寂しい思いをするのは、町の中にこうした道場がたくさんあったのが、どんどん消えていってしまっ
たことです。こういった道場から日本の文化が育ち、育まれてきたのに、それがどんどん消
えていってしまった。それが寂しかったわけです。
それからしばらくして、ちょっと変わった人たちがまた道場を作り上げてきたということはあります。ま
た、国や自治体がイベント用として、体育館等を利用して作ってくれたものもあります。しかし私は、「
なんですか、あれは」と言いたい。あんなものが道場なのかと。
本当にこれくらいの大きさか、もう少し大きいくらいの道場でですね、師範と稽古する人たちとの心がつ
ながった稽古をするためにはですね、あんな大きなワイワイガヤガヤとした体育館だとか、ああいうもの
は必要ないと思うんです。
 合気道をやる方も増えていますし、杖を習う方も増えています。他の武道もそうあってほしいと思いま
すが、残念ながら少し下降気味ですね。そんなところから、こんな道場ができることには私はどんどん協
力したいと思いますし、皆様のなかにもそういう方がいらっしゃったら、協力してほしいと思います。大
切なことは、これから本当にどんな魂が入るのか、そういうことになっていくと思います。
頑張って下さい!

はくろりん

佐藤秀一郎様

  皆さん、こんにちは。
みなさん大変姿勢をよくして緊張していらっしゃい
ますが、私、合気道は素人でございますので、どう
ぞ気を抜いて座って下さい。そうでなければ、私の
話が通りませんので。皆さん楽にして、聞いて下さ
い。
  今から27年前、会津磐梯山の国立青年の家で、
若者の集いである青年学級全国大会が開かれました。
私はその時専門職員として、中尾君は実践活動の発
表者として、初めて出会ったのであります。それか
らずっとつながりが続いておるわけです。
中尾君が何時か、「先生、合気道を始めました」と
言ったことがありました。それが今日のこの素晴ら
しい道場開きにつながったわけです。
この街の方々には非常に不幸な出来事となりました
けれども、阪神大震災をバネにしてこうした素晴らしいことを成し得たことに対してですね、言葉では語
り尽くせない喜びを今感じているわけです。ただ、ここまで至るには、今までの皆様の直接、間接の関わ
りが大きな意味を持っていたと思います。
実は、この「白鳥入蘆花」という言葉は、その当時青少年活動をしていたときの言葉です。人は一人で生
きているのではなく、色々な仲間に支えられて生きています。
人と人間の違いは、人は動物的レベルでホモ・サピエンスであり、人間と、間がつくと、その間に人と人
とのつながりができます。その中で生かされている自分が見えてくる。 私の妻などは中尾君を称して「
磁石のような人」と言います。
どんどん、どんどん人柄に引きつけられていくという表現をします。人を引きつける魅力というものは努
力して身に付くものではありません。やはり生来、身につけて生まれ育った力に、さらに周りの人たちと
の関わりの中から、その吸引力を広く、強いものに作り上げていくのではないかと思います。
 そういう点で、これからも皆様のお力に支えられて、この白蘆林、せいぶ館道場が更に一層発展してい
くことを、私は心から信じております。さらにこのお二人には、これからもいつまでも初心を忘れずにい
ることを祈りまして、挨拶と代えさせて頂きます。

安藤正治様/永昌寺住職

  皆さんに初めて、こういうところでご挨拶を申し上げます。本日は立派な道場が開かれまして、誠におめでとうございます。
中尾さんとの出会いは、私のお寺で日曜日の朝、坐禅会をしておりましたところ、いつのまにか中尾さんが私の道場にきて座っておられ
ました。私は気が付きませんでしたが、ずっと続けて日曜日の朝7時から座っていらっしゃいました。
坐禅をしておりますと、皆様の心が眠気を催したり、雑念を抱いたりするということがありますので、「警策」という樫の棒でですね、
こう肩を叩いて皆様の心を引き締める。また、真に出来ている人にはさらにしっかりとするように引き締めるわけです。
  坐っている後から静かに回って、肩に警策を打ち下ろすわけですが、中尾さんの後ろに回りますと、こーんな大きな肩幅の広い方がね、
山のようにしっかりと坐っていらっしゃる。警策を打つと、それが跳ね返るくらい。これは「うーむ」と思いましたね。その内に中尾
さんが合気道をやっていらっしゃるということがわかりました。
 たまたま、大地震で私のお寺の本堂が潰れまして、それまで続けてきた坐禅会が中断いたしました。すると、中尾さんの奥さんのほう
から、「うちの道場を使って下さい」と申し出を受けましてありがたく使わせて頂くことになりました。本日まで使わせて頂きました。
 来年からはこの新しい道場をまた、坐禅会に使わせて頂きたいと申しますと、快く承諾下さいましたので有り難く使わせて頂きたいと
思います。
 この新しい大きい、しっかりした道場をみて嬉しく思い、そしてたくさんの門弟の皆さんがこうして控えていらっしゃることを本当に
心強く思いました。
私達の宗門では、「威儀即仏法」と教えております。威儀というのは、皆さんの今の姿、それをいうんです。仏法というのは、理屈では
なく、頭の中で考えているものではなく、皆さんの行いなんです。その心に秘めている思いが体に現れてくる。
本山の永平寺に参りますと沢山の門衆たちが修行しておりますが、そこでは、一挙手一投足が仏法であると教えております。ですから、
本山へ行きますと、どこへ行っても埃がつかない。トイレに行っても舐めてみても大丈夫、という状態になっていきます。廊下を歩いて
も、窓の桟を触っても埃がない。
皆さんも、素晴らしい道場ができましたから、この道場で仏法的にいいますと、「威儀即仏法」という皆さんのそれぞれの振る舞いが仏
法ですから、練習だけでなく皆さんの身の回りのことすべてが仏法なんです。皆さんにしてみればそれが合気道なんでしょうね。
ですから、この道場がいつまでもこの新しいままのぴかぴかのままの状態であることを祈りたいと思います。来てみたら埃だらけ、ゴミ
だらけ‥‥そういうことはないと思います。皆さんの心構えがそういうことをさせないと思います。そういうことが皆さんの進む道にな
るのです。
掃除をするということは、無駄なことではないのです。皆さんの心を養うのです。そういったことで私達の宗門では、厳しく、立居振舞、
掃除、それを躾けます。トイレの仕方も厳しく躾けます。そういうことすべてが道であると教えます。
皆さんのこの素晴らしい合気道。私の表現がまずいと思いますが、なにか禅の修業と一脈通ずるものがあるように感じさせられます。
ますますのご発展と、皆様のご精進を祈って祝辞とさせて頂きます。有難うございました。

今井鎮雄様

  中尾さん、おめでとうございます。立派な道場ですね。
  先ほど震災が終わってから1年9ヵ月になるというお話がありました。随分その間、多くの神戸の人たちが苦労をされていたと思いま
す。中尾さんご自身も、道場を運営していくことに大変苦労をされていたと思います。
この素晴らしい道場が与えられたということで、中尾さんご自身の色々な思いが一つづつ実現していくんだと考えまして、心よりお祈り
を申し上げたいと思
います。ことにこの道場が、たとえば行政の助けを借りるとかいう形を取ったのではなく、皆さんの仲間が一緒になってこの道場を作り
上げたということに対して、心から敬意を表したいと思います。
中尾さんとは、何年になりますか。1970年くらいですかね。その時の仲間が一杯ここにいるのですが、あの時は皆若かったですね。
今は頭も白くなりましたけれども。
その時私達は、これからの日本を背負って立っていくということはどういうことなのか、若者と一緒になって生きるということはどうい
うことなのか、ということを語り合ってまいりました。そうした中から、「よし、それならば自分はこうした生き方、生きざまで若い人
と一緒に生きよう」と何人かの人が決心していきました。中尾さん自身は、このような道場で若い人と一緒にやっていこうとした。
言い換えたならば、それは昨日今日の問題ではなく、20年の長い歴史の中でこのような道場が生まれたのだと思いますし、これからの
道場が楽しみであると思います。
先ほど、遠藤先生が話しておられましたが、町の中に県や市が作った体育館は沢山あるが、一人の指導者を中心として、あるいは何人か
の指導者を中心として皆が集まるように作った道場が無くなってきたのは寂しいことだ、というお話がありました。それはどういうこと
なのか。
大きな道場では、技を教わることはできるかもしれない。形を教わることはできるかもしれない。けれども心を教わることはできないん
じゃないか、ということではないでしょうか。むしろ、指導者の皆さんが望んでおられることは、そのような心を持つことが本当
は大事なんだということではないでしょうか。
「合気道」といいます。「道場」といいます。色々な意味で私たちは「道」という言葉をつけたことに大事な意義を持たなくてはいけな
いですね。柔道ですとか、とにかく武道ということになると「道」という言葉をつけます。
強ければ、それがそのまま「道」につながるということではないんですね。若い人に聞きますと、「俺は空手習っているんや」、「俺は
ボクシングや」とか言うんですが、もしそこに「正義」が無くては、それは単なる暴力になるでしょうし、そこに「愛」がなければそれ
は単なる粗暴になると思います。
一人の青年と一緒に、あるいは一人の少年と一緒に過ごす時、私達がその人に示す厳しさの中にその人に対する思いやりがあれば、それ
はそのまま道になる。あるいは「技」が、正義の為に本当に心の中の支えとなるときそれは、技は、本当の意味での「道」になる。それ
以外の技は、単なる技にすぎないと私は思います。先ほど遠藤先生のお話を聞きまして、なるほどなあと思いました。
 この小さい道場。決して大きくはない道場の中で、中尾さんを中心として、若い人たちに道を学んで頂くこと。それが明日の世界を作
る力になるならば、素晴らしいことだと思います。
私もまだ当分生きているつもりでございます。皆、もうあと100年は無理だろうと言うんですが、それ位は生きるだろうと思いますの
で、皆さんと仲良くしていこうと思ってます。
中尾さん、明子さん、頑張って下さい。皆さん応援しております。どうもおめでとうございました。

せいぶ館道場開き(平成8年12月22日)道場側の挨拶

浜崎道場長濱崎正司/道場長/六段

  ご紹介頂きました、せいぶ館道場長の濱崎です。
神戸支部道場と申しましても、この新しい道場を見て頂きます限り、
1昨年の1月17日の大震災は跡形も見てとれません。その間、2年間
にわたり稽古を続けてこられたことは、中尾さんご自身の大変な努力に
よるものと思い大変感謝いたしております。
 額を書いて頂きました佐藤先生を初め、中尾さんを育てて頂いた先生
方のご出席を頂いて、彼の人となり、お付き合いの範囲というものは、
それなりにご紹介頂けると思いますので、私からはそのお話を省かせて
頂いて、漢字の「精武館」から、かなの「せいぶ館」に変わってきたお
話をさせて頂いて、私の挨拶とさせて頂きたいと思います。
 まず、私どもの合気道の先生である遠藤師範をはじめ、松村先生、堀
井先生、そして各支部からご参加を頂いた皆様、本当に有難うございま
す。 私どもはアマチュアとして今まで続けてきておりますし、今後も
そういう精神で稽古していきたいと考えております。
 私どもが精武館道場を始めましたのが昭和33年、私が入門しましたのはその年の12月ですから、それ以前のことは私もよくわかり
ません。その後、私は休み休み稽古してまいりました‥‥。私はこの中で一番古いということで、道場長を務めさせて頂いております。
 昭和33年、横田先生が大学を卒業されまして、神戸にお越しになられ、現在本部におられる米持先生とともに稽古を始められました。
その当時こうした専用道場はなく、各警察の道場などを借りて稽古していました。
その頃入門された山端一夫さん(初代支部長)が、私財を投じて「精武館道場」を作って下さいました。
そして、本部の植芝吉祥丸先生をはじめ、多彩な先生方のご指導を頂いて稽古に励んでまいりました。
昭和40年の後半であったと思いますが、横田先生が東京に転勤ということになりました。そのあと、神戸の連中だけでは心もとないと
いうことになり、なんとか本部の方から指導にきて頂ける先生を、ということを道主と米持さんとの間でお話しになり、ぜひこの先生を
ということで、現在もお越し頂いている遠藤先生に来て頂くことになりました。その後20年もご指導頂いておりますが、私どもは不肖
の弟子であり、なかなか先生の思いどおりの技ができません。
また、神戸には沢山の方が稽古に来られましたが、その中でも各大学の合気道部を出られた方々が多く、東京では東京大学、慶応の方が
多かったと思います。その当時、現在本部で指導しておられる多田先生によくお越し頂きました。また関西では和歌山大学を中心とした
メンバ−、現在では甲南大学のメンバ−などが多いと思います。また、外国の方も多く来られたというのがこの道場の経緯ではないかと
思います。
そういうことで、色々なことをしながら、今日まで続けてまいりました。
この場をお借りしまして、震災で道場が使用できなくなったときに激励を頂いた各地の皆様に、心よりお礼を申し上げます。
そういう中から、地震後2年が来る前にこの道場ができました。これから先、様々な苦難にぶつかるかもしれませんが、皆さん方のお力
を得まして、自由で明るい稽古をこれからも続けてまいりたいと思っておりますので、皆様方のご指導をお願いしたいと思います。長く
なりましたが、この道場の経緯をお話ししまして私の挨拶とさせて頂きたいと思います。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

中尾眞吾/支部長/五段
  ほんまにあの、有難うございました。
難波さんが、というよりもこの地区が震災でいかれてしまいまして、それで大変な2年間がありました。一番最初の佐藤先生のお話しに
もあったんですが、震災が縁で私の小学校の時の同級生の難波さんが、土地を提供してくれまして、それでこんな道場ができました。ま
ず、感謝します。有難うございました。
震災で家がちぎれてまして、それで撤去しまして、62坪の土地に建てることになりました。広いなあ、ええ道場になるなあ、と思いま
した。基礎工事をし、躯体が上がっていき、そのたんびにこうして端に立って、ええ道楽やなあ、ここまできたらあほもええとこやなあ
と‥‥。
ずっと、趣味に生きるゆうか、道楽に生きるゆうか、商売人ですから、金集めたらええんですが、そっちの方はどうもあまり縁がのうて。
ええ仲間、ええ先生に恵まれましてこのような道場を建てることができました。それで、12月20日、ちょうど2日前にこの道場の鍵
を頂きました。
震災の後からずっと、家建てることでこの2年間過ごしてきたんでほっとしまして。それで、今日のこの準備ですとか、掃除ですとか、
道場の皆がしてくれたんですね。私はほっとするばっかりで、今日のことですとか、この挨拶の時間もどうしようかというのがありまし
た。
 それで、演武を見ながら、皆さんのご挨拶を聞きながら、やっぱり合気道はええな、人はええなあと、やっぱり幸せゆうか‥‥思うて
ます。
  ほんまに、建てもんいうか入れ物は出来ましたけれども、これからは魂を入れていきたいと思うてます。これからも皆さんのお力を、
今まで以上に頂けたらええなあと思うてます。何か、うまく言えませんでしたが、有難うございました。

小久保宏/四段
 年を取っているからと云って、偉い訳ではなく、ただなんとなく生きているだけかも知れません。
 さて、せいぶ館道場のオープンを心よりお喜び申上げます。
 石井町の精武館道場が震災で使用出来なくなり、稽古に不便を感じて居りましたが、中尾家の第二道場で何とか続けてきました。中尾
さんが突然新道場を作ると云い出した時は、エーと云う思いでした。我々合気道気違いの為に、頑張って下さった事、ただただあきれる
思い! 失礼、尊敬の念多々、感じ入るばかりです。今後いつまでも修業稽古出来ることを望んで止みません。
 中尾さんご一家のご多幸と、ご長命、ご繁栄をお祈り申し上げて、お祝いの言葉とさせていただきます。
坐禅
 道場開きの折に、中尾さんの禅師のお話を聞きながら、禅に取り組もうと考えました。坐禅の何かを求めようと云う気持ちは余りあり
ません。ただ仏寺での若い僧侶の姿に何か、「崇高」なものを感じて、自分でも出来るかとかねてより機会を求めていたのがやっと熟し、
先月1月12日の日曜日に、せいぶ館新道場に参禅しました。
 当日5時半に起床、7時ちょうどに道場へやっとの思いで入った時、中ではもう6、7人の方が静かに座っておられました。
 崇高な雰囲気を乱したことを恥じつつ、気を静めて足元にあった円座布団を取り、禅師に一礼して、空いている席へ行きました。円座
を置き、思わずそれを跨いで座ろうとして「しまった!」と思いました。円座と云えども跨ぐのは失礼と考えましたが、この静かな雰囲
気を乱さないように静かに安座しました。道場まで15分で来たので呼吸が静まらず難儀しました。
 「無念夢想」などと格好いいものではなく呼吸を静めるべく、大きく息を吸い長く吐くことだけを考えて十数分、息も落ち着き暫くす
ると、禅師の警策が右肩に置かれ、間をおいて「ピシャリ」と打つ音が耳に入るようになりました。
 背を伸ばして待っているも、音は離れた人ばかり。と思っていたら静かに右肩に警策がピタリ、型通り合掌して首を左へ傾けると、も
う少しと無言で押され、暫く間を置いて「ピシャリ」と肩へ、ちょっと軽く感じた一撃でした。
 30分程で坐禅を解かれ、禅師の法話、内容は忘れましたが、終わってから古参の方より坐禅の作法を教えて頂きました。
 何を求めての坐禅かと聞かれしば「無念夢想」が私に出来るか、との想いだけです。

「言葉」                 和田越子/三段
10年くらい前のことでしょうか、中尾さんと一緒に永昌寺に坐禅に行った時のことです。和尚様が「静中の静は真の静ならず、動中の
静こそ真の静なり」という話をされました。
うろたえたり、戸惑ったり、忙しい時こそ静かに落ち着くことが大切ということ、なるほどと納得しました。そして「動中の動」そのも
のの毎日を過ごしている私は、時々思い出しては反省しています。
合気道においても力の強い人、初めての人、何となく呼吸が合いにくい人‥‥、相手によってつい力んでしまい、ますますどうしようも
なくなってしまうことがあります。どんな相手でも、どう攻められようと、常に落ちついて合気道をするには、「動中の静」の心が本当
に必要だと思います。道場開きの折、遠藤先生の演武を拝見し、「動中の静」なる合気道を堪能しました。
遠藤先生にも印象に残る言葉を頂きました。それは「長い航海をしている船は大変経験豊かだが、船底にはカキ殻がびっしりこびり付き、
一生懸命進んでいるようで実際にはあまり進めなくなっている。時々はカキ殻を取って‥‥」という内容のものでした。丁度、仕事上思
うことがあり―決して私が経験豊かだったというわけではありません―そのまま心に残り、仕事はもちろん、日常の生活、そして合気道
においても大切な言葉になっています。
合気道を学びながら実に多くの先生方や人達に出会い、この他にもたくさんの話を聞き、お喋りをしました。精武館、第二道場、そして
「せいぶ館」、これからも数えきれないくらいの子供たちや人々が集い、汗を流し、笑い、語らうことでしょう。
そしてふっと20年前の言葉を思い出します。「誰や姫路みたいな遠い所からわざわざ来よんのは。わしら近いから来よんや‥‥」これ
が、今では新幹線で本部道場のみならず色々な道場に出かけ、ついにはこんなに立派な道場を建ててしまった人の言葉です。
ここまで中尾さんを狂わせた合気道と、狂ってしまった中尾さんに惜しみない拍手を送ります。

新たな気持ちで             小坂君子/三段
 平成8年12月22日、新道場がオープンしました。中尾さん、難波さん、本当に有り難うございました。
ただただ、感謝の気持ちで一杯です。
当日は、遠方からも沢山の方がお祝いに駆けつけて下さり、心よりお礼申し上げます。
さて、平成9年を迎え、広くなった道場で気持ちよく合気道の稽古をさせていただいています。そして、今まで毎週土曜日、合気道が始
まる前1時間、小畑さんの指導のもと、杖の稽古もしておりましたが、新道場発足と同時に“杖道部”として、新たなスタートをきるこ
とになりました。
今までより稽古時間が30分長くなって8時半からの開始となり、出勤時間より早く家を出なければなりません。“はなきん(花の金曜
日)”なんていって遊んでおれません。土、日の休日には、平日以上に体調を整え稽古に臨みたいと思います。
今年も、気合いを入れて稽古に励むぞー!

新道場落成について    松平秀利/三段
  新道場落成おめでとうございます。
中尾支部長ご夫妻の情熱が今まさに結実され、盛大に道場開きが行なわれたその日を幸いにして目のあたりにさせて頂いたのですが、そ
の時、「合気道というのは本当に自己と相手との関係によって成り立つ武道だ。」とつくづく考えさせられました。
 私が思いますに、合気道の稽古はなかなか自分一人では行い難く、相手がいてこそ技の上達、および心身の錬磨が可能であると考えま
す。即ち、自己の稽古だけでなく、相手のことも考え、お互いに楽しく稽古を行い、且つ、ステップアップできるのではないか。そして、
そのことが相手との関係によって成り立つ武道ではないかと思われます。又、それが老若男女誰でも稽古ができ、自己の持つ新たな可能
性を具現できるのではないかと思います。
そのような事を成された多くの方々が多く集われ、この度の道場開きが行なわれたと思います。
今後も多くの人々がこの道場に来られることと思いますが、私も出来る限りの人達と稽古させて頂き、多くのことを学ばせて頂き、少し
でも成長し、合気道の素晴らしさを伝えて行きたいと思います。
 「より素晴らしい心、より素晴らしい技、より素晴らしい人生」を目指し、新たな出発点に「せいぶ館」にて頑張っていきますので皆
様のご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。

杖道部(神道夢想流杖術)誕生
                       小畑盛義/三段
  昨年の道場開き式典は、大勢の方々が出席され盛大に行われました。演武では、諸先生、諸先輩方の円熟した技の数々を披露して頂き
有り難うございました。私も未熟ながら松村先生とのご縁で、皆様の前で杖術の演武をさせて頂く栄誉を得ましたが、反省することばか
り、今一度初心に帰り稽古に励みたいと思います。
 さて、今年から土曜朝の杖道グル−プが、新生「せいぶ館」誕生に伴い、東京・紘武館道場の松村重絋館長を師範にお迎えして、正式
に「せいぶ館・杖道部(神道夢想流杖術」として活動する事になりました。これは中尾眞吾支部長はじめ皆様のご厚意によるものと感謝
致しております。
 神道夢想流杖術は夢想権之介勝吉により今より約400年前に創始された、「杖」即ち、長さ四尺二寸一分(128センチ)、直径八
分(2.4センチ)の樫の丸木を武器とする日本古来の武術であります。稽古は木刀と杖による型稽古で、数々の形の動きを習得し、杖を
自由自在に使えるよう稽古を重ねます。
杖道部誕生のきっかけは今から5年ほど前、私が杖術を習い初めて10年が経過した頃、思うところがあって一念発起、土曜朝の合気道
の稽古前(一時間程)に杖術の奥義を極めんと一人稽古を始めて半年、開眼までもう一歩まで来たとき、姫路から熱心に通ってくる山下
氏が「はよから何しとってですか」、私「良かったら一緒にどうぞ」、というわけで開眼は暫しお預け、山下氏との稽古が始まりました。
そして、今年の杖道部スタ−ト時のメンバ−は、私達二人と、どういう訳か女性が3人(榎本久美さん、小坂君子さん、中尾明子さん)
です。これを機会に一人でも多くの方に杖術の良さを知って頂きたいと思っています。
 男前2人と綺麗どころ3人がお待ちしています。入門手続きはお早めに。

「精武館」から「せいぶ館」へ
                             佐伯公宏/二段
  私が「精武館」で初めて稽古したのは、昭和63年5月でした。
稽古時間の前でしたが、既に汗だくになって座技呼吸法の稽古をしている組がありました。倒そうとしても重くてなかなか倒れない受け
(中尾館長でした)、筋肉を使っているため疲れてやめようとすると「諦める時は死ぬ時や」とはっぱをかけられ、気力を振り絞ってま
た呼吸法を続ける取りの青年。
稽古が始まると、三十、四十歳台の人たちが黙々と投げ、そして受けを取る。江戸時代を思わせる木造の古い道場にただ畳を打つ乾いた
音だけが響き続ける空気に、他では味わったことのない真剣さや緊張感を感じたのを覚えています。
稽古に参加した私もこてんぱんに投げられましたが、求めていた道場に出会ったことがとても嬉しかったのを覚えています。
入門してからは、実力ゆえにただ投げられっ放しで(「ぼろ雑巾のように」と比喩されました)、ほとんど技のことを考える余裕のない
稽古が震災前まで続きました。
あの頃の稽古が今の自分の基礎になっていると思いますが、未だに受けも未熟なので、まず受けをしっかり身につけるとともに、先輩方
のように年齢に関係なく黙々と、受けと取りを繰り返し稽古を続けることが大切だと感じています。
また、稽古をしているうちに、馴れ合いになったり、鈍感になったりしがちなので、常に新鮮な感覚で、緊張感を持って相手に接してい
きたいと思います。
いずれにしても、中尾館長のご尽力により「せいぶ館」という新しい稽古の場を得た今、先生方や諸先輩に少しでも近づけるよう自らの
心身を鍛え、技を磨いていくつもりです。

せいぶ館の道場開き      品川高宏/二段
  せいぶ館が新たな出発をし、再入会した。新しくて広い道場ができてとても嬉しい。
平成8年の稽古日数で道着のご褒美をいただいた。今年も頑張ろうという気になる。
しかし、震災などが原因でまだ大変な方も多い。皆が手かせ、足かせなく、平和な気分で稽古できるのはいつになるのだろうか。早くそ
ういう時がきたらいいと思う。
平成9年がせいぶ館にとって、みんなにとって、自分にとって良い年になりますように。

抜く力              古殿英介/二段
  世に「柔よく剛を制する」という言葉があるが、私はずっとそれは嘘であると思っていた。それが私の、この道場に来る迄の合気道観
であった。
私も学生時代は4年間、一生懸命合気道をやっていたのであるがそこで得たものは、所詮どんなに技が切れようと力のあるものが力を入
れれば技は効かない、というものであった。私も当時は合気道バカで、その力を養うため、よく練習の合間にダンベルなどで体を鍛えた
ものであった。
 あれから20年経ち、衰えたとはいえ多少自信のあるその体力で、精武館の練習に臨んだのであるが、全く歯が立たない。何かが違う
のである。
技が思うようにかからないイライラを抱きながら練習を続けてきたが、ようやく最近そのイライラがなくなってきた。解ってきたのであ
る。
力は入れるものでなく抜くものである、ということを。それが自己の力を最大限に、相手に発揮できるということを。
 つくづく素晴らしい武道なんだな合気道は、と思っている私の昨今である。

新道場バンザイ!           片山瑞穂/初段
  「寒い〜!!」 新道場での朝稽古はこの一言から始まる。
この広い道場での稽古はまだ1ヵ月にも満たないが、新道場最初の朝稽古はなかなか笑えるものだった。
午前7時、「さあ、稽古始めよか」。 新しいものが大好きな中尾先生は少々(?)ウキウキしながら言った。こんな広い道場での稽古に
慣れない私達、最初のあいさつをする時はみんなぴったり寄りそって一礼。
 「みんな、もっと広く座っていいんやで‥‥」と中尾先生が言うと、その時は「ほんとやね」「離れよ、離れよ」と、笑いながらワラワ
ラと散らばった。
ストレッチが終わり、稽古が進んでいくうちに、気がつけばみんなぴったりくっついて隅へ隅へと行く始末。みんなで大笑いしたものの、
長年の習性とは恐ろしいものだと実感した。
この大きく広い道場、畳は足が凍るぐらい冷たいけれども、暗いうちから始める朝稽古では、お日様が昇ってくる美しさ、すがすがしい
瞬間に出会える。これを見ると、早起きは三文の得だ。寒いけど、今日も一日がんばろう! という気分になる。

金曜の夜は                   山下裕士/初段
  金曜の夜は道衣を鞄に詰めて、目覚し時計をセットして‥‥。たまの出勤や用事もどうにかならないか努力してみる。こんな癖がすっ
かり身についてしまった。
どうして土曜の朝早くから神戸に行くのが苦にならないのだろう。
合気道がおもしろいから?  いやいや、そんなことはない。
去年の夏は暑かった。袴がこんなに暑いとは。なのに、小坂さんは涼しい顔。真下に落とされて、起き上がれなかった。やっぱり四教は
痛いし、三教もきつい。こちらの技はかからない。なのにどうして‥‥。
この前の記念パーティーで少し分かった。「人」だ。人との出会いとつながりが楽しいのだ。技をかけあうことでお互いを認め、分かり
あえる。言葉に出さなくても。ベテランも初心者も、男も女も、老いも若きも区別なく。合気道をするからそうなるのか、それとも、そ
んな人が集まってくるのか分からないけれど。
合気道と中尾さんの二つの魅力を掛け合わせて、あんなに多くの人が集まった。そこにいたことを幸せに思う。
新しい人がもっと増えて、人の輪が広がっていく。これからもその中に元気に出かけていきたいと思う。
そのためにも、金曜の夜は早く休もう。

大事なことを考える      野田和利/初段
  僕は、合気道が上手くなりたくて、精武館の門を叩いた。あれから2年が過ぎた。2年の間に様々な出来事、人との出会いがあった。
合気道の技も変わったかもしれないが、何より自分はいい笑顔をするようになったらしい。僕は合気道の技よりも大事なことが合気道を
通じて出来るようになったのかもしれない。
「野田君は、笑顔がいい」と、最近人に言われた時、何だか無性に嬉しくて、こんなことを考えた。そして、自分がほんの少しだけ、前
より強い人間になった気がした。

合気道が好き                菅原久志/1級
  合気道を始めて10年くらいたつ。初めはいやいや通っていたのに、いつのまにかこんなに長い年月がたっていた。
別に強くなりたいと思っているわけでもないし、体を痛めつけるのが好きなわけでもない。ただ、合気道が好き。それが、10年も合気
道を続けてこれた理由だと思う。
そして、これからも、合気道が好きという理由だけで、道場に来ている人たちと笑いながら、楽しく、愉快に合気道を何十年、何百年と
続けていきたいと思う。

合気道 ありがとう          松田和子/5級
  昔、「努力、忍耐、根性」と書いて壁に貼っていた。負けたくない。レギュラーになりたい。人と同じ事をしていたのでは追いつけな
いと思い、自分に負荷をかけた。
毎朝8キロ ジョギング。過激な減量(半年で15キロ)。クラブ活動は一日も休まなかった。昔の私は顔がひきつり、力みすぎていた。
合気道に出会ったのは2年前。灘屋さんへ行って「眞吾さんカッコい〜。いい体してる〜。何やってるの? えっ、合気道? ああ、あの
瓦割るやつね!?」と言って稽古を見に行ったのが始まりだった。
だんだんと合気道が楽しくなってきた。さぞかし怖い顔して稽古するのかと思えば、笑顔が大切だと中尾先生は言う。ああ、よかった。
昔みたいな強迫観念ではなく、素直にうまくなりたいと思う。
動ばかり求めていた私が道を学んでいる。合気道が出来て、その上、稽古が終わって仲間とビールが飲めるなんて、とっても幸せ。なん
まんだぶ。

新しい道場    村上真理子/6年生/8級
  私が最初に見た道場は、人がいっぱいいて、広いはずの道場がせまく感じた。けど久しぶりの練習の時に来た道場は、すごく広かった。
あと、たたみがまだ新しいからくさくて、べとべとしていた。それと、一番いやだったのは、手押し車だ。広いから、すごくしんどい。
けど一番良かったことは、広いから、みんなと、ぶつからなくてすむことだ。
 今年の目標:受け身を軽がるやる。まじめにやる。

合気道        吉松あや/5年生/8級
  私は合気道をはじめて五年です。初めのほうよりは上手になったけどまだまだです。合気道に入って新しい友達もできました。合気道
だけじゃなく、もちつきやスケ−トにも参加しました。とても楽しいです。
 一年に何かいか、何かの時に大人の人と合気道をすると「すごいな」と思います。
新しい道場ができてとてもうれしいです。これで道場が変わるのは3回目だけどどの道場でも色々な思い出があります。この新しい道場
でも色々な思い出ができたらいいと思います。

新しい道場        石井直実/6年生/10級
  私は、はじめて、新しいどうじょうにきて、なんか、いかにも「新しい」と思いました。
 どうぎにきがえて、たたみに立つと、木のかおりがプーンとしました。最初「前より遠くて、冬でさむいからいややわー」とか思って
いたケド、最後の方は、遠いけど広くて、なんか、今のどうじょうの方が、スッキリしてるから、ウキウキになってきました。広いから
「うけみ」とか、しんどいけど。
これからは、今までより、もっとガンバリたいと思います!