第12号(通算第18号)/2001年(平成13年)4月/発行:(財)合気会神戸支部せいぶ館 編集・文責:和田正志
道場長:濱崎正司 支部長:中尾眞吾/〒650-0011 神戸市中央区下山手通8−20−17 えぬビル3階 白蘆林内 
TEL(078)382-1659 FAX (078)341-3980

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遠藤先生 八段位ご昇段おめでとうございます!


 
 神戸支部がご指導いただいている本部道場・遠藤征四郎師範の八段位昇段祝賀会が、支部会員はもとより関連道場の方々を交えて、元町・花隈の料亭「上伊」で盛大にとり行われました。
祝賀会は衛藤久さんと田中さんの司会進行により、まず中尾支部長の挨拶と濱崎せいぶ館道場長の乾杯の音頭で始まりました。来賓の明倫塾々長・祖父江さん、倉敷合気会代表・吉沢さん、津山合気会代表・石田さん、水野さん、三河合気道研究会・織田さんのお祝いの挨拶があり、支部からは昨年度396回の最多稽古回数記録保持者の玉置さん、緊張のためかちょっといつもの持ち味が出なかった(?) 小久保さんと春名さん、甲南大学OB&OGの挨拶が続いて、神戸支部の芸達者・松田さんはアカペラで「帰ってこいよ」を熱唱し、場内を沸かせました。
その後、先生を陰ながら支えてこられた奥様からお礼の挨拶と、遠藤先生からは四半世紀前はじめて神戸支部に指導にこられた時のことなどを交えて、八段位になられた現在の心境が述べられました。最後にせいぶ館副道場長・打越さんの閉会の挨拶があって、閉会となりました。(詳細は後記)


中尾支部長・小久保さん 
昇段おめでとうございます!
中尾支部長・小久保さん 昇段おめでとうございます!
今年の本部道場における鏡開きで、中尾支部長と小久保さんが六段位と五段位に昇段されました。これからもご活躍を期待しています。
お二人の昇段お祝い会が、2月25日元町・桃李門にて、菅原久志さんの司会で行われました。面白スピーチは後でご紹介します。

ハーイ、せいぶ館通信ナピゲータのどうもちゃんでーす。12号では、先ほど開かれた遠藤先生の八段位ご昇段祝賀会、中尾支部長と小久保さんの昇段お祝い会の模様をお知らせします。皆さん、四段と五段の違いを知ってますか?(私も知らなかったのだ。答えは5ぺ一ジに)最近せいぷ館の入会者が増えて従って昇段昇段の方も増え作文が山盛りとなりました。林君のように1行だけでも、松井さん、神谷さんのように絵や漫画でもいいんですよ。皆さん出してね。卒業で故郷に帰る美穂ちゃん、今まで編集のお手伝いありがとう。新人よ来たれ、待ってます!


合気道のぼりおめでとうロゴ合気道のぼり
平成13年3月度 昇段・昇級 おめでとうございます
二段
菅原久志
初段
新阜孝之 玉置恵啓 春名美穂 ポール・コール 新井宏伸 松田和子
1級
橋本 岡田 林茂 石田 ボリグ
2級
オリヴィエ 平尾
3級
寺見正 松井 長谷川 佐藤 今井 高木
4級
赤石 井上 濱崎 林佑 平川 花本 杉村 松本 長谷 香山 エドワード
寺見麻 坂本泰 
5級
山田 紙谷 エステラ 野口綾 ティモシィ 五十嵐 村上 ダヴィッド 正木
8級 佐伯 横本 福田 佐藤
9級 一二三 住谷
準9級 木村
10級 山根敬 山根麻 池田崇 池田翔



SISHOU
中尾眞吾/支部長

sishou と打つといろんな sishou が現れる。四升、死傷、私娼、支障、師承、刺傷、四章と色々と現れる。私たちにもその [sishou] が現れたのです。
山崎君に言われ、佐治君にも言われ、海外の友達からも「便利やで」、「はよしいよ」とパソコンを買うことを勧められていました。しかし何ぼ勧められても、一杯の道具に囲まれたこの時代にもうこれ以上余分な道具は要らへん、というのが私のこの数年の考えです。
実際、地震の前に和田君がパソコン持参で、この便利であろう機械を私に教え込もうとしたことがありました。がその時はまだその気にならず、その高価なデスクトップパソコンは甥っ子のテレビゲームの遊具に変身してしまったのです。<和田君、ごめん!>
政府までがIT何やらとか言い出し、新聞を読んでもコンピューター関係の記事ばっかりやし、広告までがそんなんばっかりでパソコンが家になかったら人間じゃない!というような錯覚に陥りそーでした、ね。絶対せえへんぞ。こんなん有っても邪魔。出来る人にしてもおたらええやんか? なぁぁ・・・・・・。
そんな時に林君が現れたのです。パソコンばっかりに一日中向かい合い、学校の授業中さえ頭の中をプログラムが流れ出すという、ある種病的とも取れる自分に嫌気がさしていた(せいぶ館通信第11号、14ページ)高校3年生。(そうです!合気道は人間復活の武道でもあるのです!!)
中学生の時からゲームソフト作成のアルバイトをし、そんな本を2冊も出版している!林君。パソコン専門書にも何やらかんやらレポートを出したり、とまさに私達にはもったいなすぎる[師匠]が現れたのです。
まず手始めに安くて使いやすいパソコン本体をインターネットで買い(こんなことが出来るとは!)、そのパソコンにいろんなソフトを入れてくれ、先ずはワープロの稽古から、数百人の住所録を打って、それから道場の会費納入簿の作成。出席簿も作ってと、色々と使い道はありますねぇ。
その次は日本国中の、世界中の合気道の友達へメールを出す。これが又面白い!瞬時にその人と繋がっている。これは脅威ですなあぁ!?
アメリカへ、マレーシアへ、カナダへ、イギリスへ。カローラ、アダムス、カロリン、フィリップ、ミリヤム、マーカス、レイモンド、ブライアン、ジョウ、埼玉の洋子さん、名古屋の洋子さん、津山の恵美子さん、あっ女の人ばっかり!!!
仙台、新潟、福島、郡山、東京の色んな人。もちろん神戸の会員の人たちからも多くのメールが押し寄せてきます。この機械が来てからというもの本を読む回数が減り、昼寝の時間も短縮され、私達の生活は一変したようです。
この巻頭の言葉もパソコンで打っているのですが、万年筆と原稿用紙に比べると、どうしても出来る速度は遅く、文体(?)もいつもと違うんやなぁ、と思いながらも何とか新しい道具に間に合ったと自己満足しつつ、今日もこの[黄金の機械]を夫婦で取り合いをしているのです。
もうすぐ4月。我が師匠もプログラマーを目指して東京の大学に進学。私達も独り立ちです。
合気道をしていて、合気道以外の新しいことに出会い、若い人に新しいことを教わる。合気道をしていてよかったなぁ。ありがとう合気道、ありがとう佑樹君。(3月23日)

 

◎◎遠藤師範八段位ご昇段祝賀会スピーチ集◎◎

遠藤先生:今日は本当にありがとうございます。こういう機会っていうのは、本当にいろいろ今までのことを思い出す、思い出させられる機会になります。
当初、私が33、4の時に、神戸に行きなさいと本部から言われて、どうして私がって後で聞いたことがあるんですが、横田先生が遠藤さんを呼んだら、ということを言われたと聞きました。
横田さんとの出会いというのはそれまでどの位あったかと思いましたら、ほとんどないんですね。そうすると横田さんは私のことをどこで知られたのかなと思ったり、ということは人は見ていないところで見ている、というような事を感じました。見られているということはそこで意識していい事はできますけど、見られていないといい事はできない。実際私は家に帰ったらぐずぐずの生活で、皆さんにお見せできるような生活はできていないんじゃないかと思います。
その当時、自分の稽古の仕方を180度変えて、3年目、4年目と言う時期で、本当に何もわからない、まさに暗中模索という時期でした。
こちらにお伺いしたら、濱崎さんはもちろんそうですけど、ここに今いらっしゃる古い皆さん、本当に猛者ですね、そういう人達がいっぱいいらして、私のやることがこの人達にどのように伝わるのかな、と多分何も思うようには出来ていないだろうな、出来ないだろうなと思っていました。
来る度にこれはどうだ、それじゃこれはどうだ、と本当に数年来る度に非常に緊張した気持ちでいました。こちらの当時の20代、あるいは30代の皆さんが他の合気道を習われていて、私の合気道にぶつかってくる。私の側から言えば、いい言葉ではないんですけど挑戦という気持ちでした。
そんなことが最初の頃の出会いで、後は同じような過程をたどってくるんですが、自分のやり方において、今は出来ないけど、最終的とはいいませんけど、先の見通しのためにはこのやり方しかないと思いましたから、そのやり方をずっとやってきた訳です。形は違う、あるいは出し方は違うとしてもそれは今でも同じです。
先ほどから、遠くに行っちゃってるということをいわれまして、そのことは私にとって複雑な気持ちなんです。うれしい気持ちと、どうしようかな、という気持ちと両方あります。
うれしい気持ちというのは、元々私が求めているのは、三十になる前から感じ出したのは、相手にわかってしまうような技だったら、やり方であるんだったらたいしたことではないな、ということです。レベルからいってですね。こういうことは相手がわからないうちに何かしてしまわなければいけない、技をしてしまわなければいけない、ということを三十前に思いだしていました。
でも当時はガアーっという稽古をしていましたんで、こんなことを一生やるために合気道に入ったんではないな、こんな馬鹿なことはない、とも思っていた時期でした。でも日常のどこの稽古でも、本部でもそうですけど、どこでも稽古はそういうやり方をしていました。ですから、もうやめてしまおうかと思ったこともありました。
でも幸いというか、ケガをしたことである師範に出会い、そこから180度転換して今の稽古につながってくるわけです。
そういう稽古をやっていく中で、いろいろな種類の本やいろいろな武道関係の本を読んで、やり方として求め方として間違えていない、という確信ができてきました。
今だに同じ求め方なんですけど、先ほど祖父江さんが5年前から変わったということを言われましたが、私の中で何かが変わったのか、今までも力は抜いてきましたが、もっと力を抜く、もっと力を抜く、というのが私の中で一番あります。
昨日も言いましたが、こういうやり方をやるのは、私はいいんですが、これについて習おうという方達はきっと大変な目にあっていると思います。でもそれは我慢してください。我慢できる強い心を持ってください。
がんがんやることが強いことだとほとんどの人が思っている中で、そうじゃない方向でやるのを皆さんにどこまで要求したらいいのかといったら、私はこうしてますということについて来られるんだったら、ついてくる皆さんは自分が柔らかくとか、相手を痛めつけないとか考えられるんだったら、相当な強い心を持っていただかなければ大変ですよ、と申し上げたい。
やっていることがまかり間違えば相手をやっつけなければいけないことですから、それをもって和の道をしていくとはどういうことか。非常に矛盾したことをいっているのではないか、と私も思ってきましたけど、でも武道で和の道を求めていくんだったら、こう申し上げるんじゃないかと思います。それを本当に求めるんだったら強い心がなかったら本物の道は求めることは出来ないんじゃないかなと思うようになりました。
創始者はそういう気持ちで道という名前を付けたと思うんです。でもその後の人たちがそれがわからないから、ほとんど道を求めるということから離れてしまったと私は思います。ここで改めて道を求めるために合気道をやろう、道とは何だということもしっかりと考えていかなければいけないと思います。このような気持ちで最近やっています。
もうひとつ、こういうやり方で稽古の仕方をどうしたらいいんだということですが、私のようなやり方で、初心者からどのように教えていったらいいかという質問は日本だけではなく、外国でもよく受けます。
ひとつはあなたが三段、四段、五段になっているのだったらあなたが考えなさい、自分で考えなさいということが僕の意見です。もうひとつは三段、四段、五段が初心者に教えていく方法としては、道主の本、テキストがありますからそれをまずクリアしていく、その方法で教えていく、それしかないでしょう、と申し上げています。
合気道は型として習っていくわけだから、合気道を習う人誰でもはそれを知らなきゃならないんです。そこからどうするかということは、指導者の問題になってくると思います。この前、型と技は違いますよ、と申し上げましたが、型から技にどのように入っていくか、区別して考えている人は少ないと思うんですね。
それは型の稽古がいいかげんだからなんです。型のような、技のようなことが最初から行われているから、型が型にならないで皆苦労しています。私は今こういう稽古をしていますから、一方において型についての思いは前よりもっともっと強くなっています。型をもっと大事に習っていかなけりゃいけない。一方がガーンと強くなっている半面、やっぱりこれだけじゃだめだ、こっちのバランスもとらなけりゃいけない。反対の方を大切にしたいというのが強くなってきています。そういうことで基本の型の稽古をもっときちんとやらなければいけないなと思っています。
どうかこれからもご縁が続いてずーっと皆様とお付き合いが続けられたらそれにこしたことはないと思います。これからもよろしくお願いします。本当に今日はありがとうございました。
奥様:本日はこのような会を開いていただき、またお招きいただいてありがとうございました。先生、八段おめでとうございました。
結婚しまして今年で30年になります。この30年の間に、先生を通して色んな皆様たちとお会いできる幸せをたくさん頂戴しています。
昨夜も灘屋さんで色んなお話をしたんですが、普通の生活の中に淡々といい事だけではなくて、山があって、谷じゃなくて谷底もありました。そんなことないでしょうと言われるんですけど、決してなかったわけではありません。それなりにありました。先生が感じているか、感じてないかの違いなんですけど、あってここまで来たんですね。
でもここまで来る間、総合的にみましたらやはりうれしいこと、楽しいことの方が多かったと思っています。やはりこれは遠藤征四郎というものを通して皆さんたちが色んな形で支えてくださっている、という部分で私が幸せをいただいているのだと思います。
これを機会にもっともっと長くお付き合いをさせていただければいいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。
中尾支部長:遠藤先生、八段位ご昇段おめでとうございます。遠藤先生には神戸支部は26年か27年くらいお世話になっています。ええ仲間やええ後輩やらいっぱいおりましたが、やっぱり先生がおってやからこそやと喜んでいます。
神戸は遠藤先生との関係が、遠藤先生の技がすばらしい、だから次回も来ていただこう、それをずっと繰り返して25、26年、四半世紀なんですね。よう先生にもよく来ていただけたなぁて、感無量いうところがありまして、これからも遠藤先生を新幹線の駅までお送りして、また次回の稽古の日程を調整をしていただきたいと思っています。こういう関係をずっと続けられたらいいなと思うています。
この間も先生にお話したんですが、最初出会ったときにも先生は、プロってすごいな、遠いところを歩いとってやなと思っていたのですが、この頃ますます先生の姿が遠いところへ行かれました、もう見えんようになってきています。私も目も大分悪うになってきているんですが。見失わんように私もついて行きたいと思っています。先生、奥さん、よろしくお願いいたします。
祖父江・明倫塾々長:せいぶ館の方にお世話になったのと、遠藤先生にお世話になったのがどちらもちょうど5年になります。
この5年間で遠藤先生の技がどんどん柔らかく、大きく、つかみ所がなくなっていってしまって、われわれサボっているつもりはないんですが、なぜこれだけ差がついてきのかなぁと悩んでいます。

中尾さん・小久保さん昇段お祝い会
 さて、スピーチの名前を伏せている方たちがいますが、誰だかわかりますか。(正解はせいぶ館通信のどこかにあります。お楽しみに)
A:私は中尾さんの年までには5級、小久保さんの年くらいには黒帯になれるように長く続けていきたいと思っています。
B:小久保さんくらい長いこと合気道すると、女性心をくすぐるいい男になっていますのでこれからも頑張ってください。
C:中尾さん、小久保さんお疲れ様でした。まだ先も長いので一緒に頑張りましょう。
D:私は実はおじいちゃん子で、超熟年の方と稽古をしていただくときはとってもうれしいです。
E:せいぶ館通信のF氏です。昭和34年に神戸支部が発足以来、石井町の方でやってきたのですが、その後阪神大震災で精武館道場は閉鎖となりましたが、中尾支部長のあたたかいご尽力で1昨年40周年を道主を迎えて盛大に挙行できたということは記憶に新しいところです。日頃の稽古でも1年365日まさに毎日稽古しておられ、名実共に六段位にふさわしいと思います。日本は言うに及ばず、世界から神戸支部の中尾支部長として慕われている感じがします。日頃は縁の下の力持ちで支えておられた明子さんという方がおられたからだとも思います。これから合気会はアジア、ヨーロッパ共に合気の心を広めていかなければいけない時期に来ています。今後ともご尽力、ご活躍をお願いしたいと思います。
小久保さんにおかれましては、子供クラスをご指導いただいておりますが、昨年末の演武会で子供クラスの演武を見せていただきましたが、非常に感性よく伸びてるな、と感じました。
それから、四段と五段の違いというのが1つあります。四段というのは允可するという表現ですが、五段になりますと、1枚紙ではなくて3つ折りになります。そして五段位に列すという表現になります。印可する、と、列すとの違いは大きくあります。これからますます励まれて六段位、七段位になられることをなっていただきたいと思います。
F:私の夢はおばあちゃんになっても楽しく合気道をやっていることです。私が80、90になるまで頑張ってください。
G:僕の目標は小久保さんのお年になるまで合気道をやることです。
H:小久保さんの印象はこういう飲み会で小道具を使ってスピーチされるんで今日も期待してます。スピーチの時に皆がこれから手品が始まります、とか袋の中から鳩が出るとか言われるので手品師の人かなと思っていました。
I:質問が1つあります。3級昇級の時の受身は30回、初段のときは100回。中尾さんは六段昇段では何回やりますか。
J:質問があります。何歳から合気道を始められましたか、合気道をやめたいと思われたことがありますか。あったら、何歳で何段のときですか。一番実力がついたと思ったのは何歳で、何段のときですか。これからの目標は何ですか。
中尾:22か23歳の時に始めました。やめようかなと思ったのは37歳の時でした。肘が左はつきますが右は肩につきません。四方投げとか二教とか、私がいわしよったんでお返しがきたんですね。もう合気道は力やったんですね。やめようと思ったときに、和田君が、だまされたつもりで山口先生の所に行ったら言うて、行ってみたらだまされたんですよ。合気道をやめて社交ダンスに行こうと思ってたんですが、もうこんなしょうもないことにもっと足を突っ込んだのは和田君のせいなんですね。実力がついたんは山口先生に出会えたことですね。そういう先生に出会えた自分が誇らしかったですね。目標は、宮本武蔵は鍛錬の鍛は千回、錬は万回と言ってますが、私は今まで6千日くらい稽古していて、後4千日やると12年かかるんですね。12年経ったら7段になれるんですね。別に七段になるのが目標ではないんですが、私は宮本武蔵を越えるのが夢なんで、その年が65歳なんです。
小久保:本日は有難うございました。いろんなこといっていただきまして、これを糧にこれからもずっとやっていきたいと思います。
私は合気道を始めたのが39歳のとき、友達に荒川というのがおりまして、それが合気道をやっておりました。合気道はどんなものかと聞きましたら何も言わずに割り箸1本持ってきました。持ってろと言われまして、名刺でもってパサッと切りました。これはすごいな、できるかどうか分からないが、始めた方が早いと思いまして本部道場へ入門しました。1日おきでしたが2年間通いました。この間色んな先生に習いました。
その後都合があって神戸へ移りました。その時嫁さんをもらいました。嫁さんが応援してくれたお陰で稽古を続けることができました。私の生年月日は1931年3月1日(日)です。あと3日で70歳になります。
私の家の仏壇の反対側に五段の賞状を飾っています。始めに仏壇に今まで生きて来れました有難うございます、と礼を言います。その後、くるっと体の転換をしまして、賞状の方に向かってこれからも頑張りますのでよろしくお願いします、ということになっております。
みんな力強いんですよね。力を入れてやるとこちらに力が通じてこない。力を抜いてやると私のほうがすぐ倒れてしまうんです。それが技の力なんですね。合気道は力を抜いて技をかけたら千人力なんですね。力が抜けるまでに私は40年もかかっています。私の転機は4年前です。それから姿勢を真っ直ぐにして技をかけるようにしました。それからパワーがでるようになりました。
若い頃野球をやってまして、その頃の猛練習のお陰で、50歳ぐらいまでは元気でいられるかなと思っていたのが、60になっても、70歳になっても今だに元気です。この調子では幾つになったら不元気になるかわかりませんが、元気な限りは合気道をやらしていただきたいと思います。皆さんお邪魔でしょうが、これからもよろしくお願いします。有難うございました。
中尾:皆さん今日は有難うございました。私は合気道をやる前に空手をしていまして、勝ったらええ、やっつけたらええ、そういう稽古をやっていました。顔がどんどんどんどん険しくなるんですね。性格は元々激しい方なんでそういう顔になっていくのが好きたったんですが、ちょっと疑問が出てきました。実はその武道をやる前に合気道がしたかったのが、こだわりがありましてそっちへ行きました。やっぱりもともとあほで、険しい、激しい男がそういうことをやっていくと、ますますしょうもないことに磨きをかけていくなと思いましてやめました。半年間空けて合気道へ行きました。皆な弱いんですね。隙だらけなんですね。合気道を始めるときにひとつ、これだけは守っていこうと思ったことがあるんですね。それは楽しいことだけをしていこう、ということなんです。
時には苦しいこと、いやなこともありましたが、人生を教えてくれる人にもめぐり合え、先輩、稽古仲間に囲まれて好きなことを趣味にして人生を生きていける幸せを感じています。せいぶ館通信にも書きますが、林祐樹君、18歳が今の私の師匠です。自分自身の風通しをよくしたらいっぱい教えてもらえることがあると思っています。翁先生有難うございました。


よろしく!!
菅原久志/二段

今回二段を頂き、本当にありがとうございます。
僕は文章を書くのが苦手なんで、一言だけ書いときます。二段になって、やっと合気道が楽しいと思うようになりました。これからも、こんな自分でよければ、明るく稽古をして、楽しく酒を飲みに行きましょう。みなさん、よろしくお願いします。
接点
新阜孝之/初段

せいぶ館に入門して3年目で、この度初段をいただきました。有難うございました。
私が合気道をしたいと思った直接の理由は、父の影響でした。私には今父親がいません。父は私が6歳の時に病死しました。幼かったこともあって、私には父の思い出がほとんどありません。
母は昔から、父の事をよく話してくれました。子供の頃から体が弱かったこと、旅行好きであったことなど色々な話をしてくれた中で、父が学生時代に合気道をしていた事も話してくれました。
父がどんな人であったかほとんど覚えていなかった私は、父が好きだった合気道をすれば少しでも父の事がわかるかも、と思ったのがきっかけでした。
今は合気道をすることが父との唯一の接点であり、また合気道をしていたことを私に話してくれた母がいるから、こうして毎日が楽しく過ごせています。
1年程前に、父が合気道をしていた時の写真が見つかりました。袴をはいていたので、おそらく有段者だったんでしょう。とても楽しそうに練習している写真でした。
初段になったばかりの私は、当時の父にはまだまだかなわないでしょう。でも合気道がいかに好きか、毎回の練習をどれだけ楽しんでいるか、といった事に関しては、もしかしたら当時の父以上かもしれません。
阿修羅の如く
玉置恵啓/初段

先日、書店で何気なく手にした本に、興福寺の阿修羅像がのっていました。それを見て、数年前、NHKで向田邦子作の「阿修羅の如く」というドラマをやっていたのを思い出しました。筋はよく憶えていませんが、タイトルと共に写った阿修羅像と、勇壮であるが何か物悲しいトルコ軍楽隊の行進曲が蘇ってきました。
この阿修羅は何と切ない目をしているのでしょう。阿修羅は復讐と憎悪の為に闘う鬼神です。ところがこの三面六臂の像はまるで少年のようです。妙法院三十三間堂の阿修羅は、怖しい表情をしていてうなずけるのですが、この事を今まで不思議に思っていました。そしてその時手にした本で謎が解けました。
阿修羅は仲間と、お釈迦様が説法しているのを邪魔しに来たそうです。しかしその説法を聞くうちに改心し、帰依し、闘う筋肉を全てそぎ落とし、あのような童のような表情になったという事です。しかし気になるのはあの目です。何を言っているのでしょうか。ともあれ、私も阿修羅の如く力を抜いて、こだわりを捨て、素直な気持ちで次の目標に進みたいと思います。
お礼が後になりましたが、初段を拝領いたしました。練習に付き合って下さった方々、諸先輩、諸先生に心より御礼申し上げます。
「ありがとうございました」
春名美穂/初段

色々な思いが入り混じり、言葉になりません。けれど一言二言。
せいぶ館の皆さん、「ありがとうございました」。私と出会ってくださった全ての人に、どうかこの感謝の気持ちが伝わりますよう。怪我なく元気で合気道しててください。
それではまた、近々お会いしましょ。その日まで皆様ごきげんよう・・・。

『楽しみは まれに戻りてせいぶ館 共に稽古し 飲み交わすこと』
やったぞ、黒帯
ポール・コール/初段

とうとうやったぞ! そう、欲しくてたまらなかった黒帯がついに自分のものになった。
何とか合気道の一里塚を越えられた今、受験者の中で私の年齢が一番上だったことを思い出しています。私は彼らの多くが生まれる前から合気道を始めていたのです。
1973年のことでした。サンフランシスコで開催された地域が主催するアートフェスティバルの写真を撮る仕事をしていました。そこでは数多くの文化グループが、当時の自分たちのありのままの姿を伝えるべく色んなことをやっていました。
その体育館に思いがけず入ってみると、四隅ではマクラメ織りの植物入れを売る模擬店があり、ひとつの舞踏グループがエスニックなビーパップダンスを踊っていました。
座って見ていると、道着ととても素敵な黒い袴を着たグループが畳を敷き終えました。彼らはまず互いに激しく投げ合い、そして優雅に終わったのです。その演武のうわべの自由さと自然さに引き込まれていたのでした。
その後稽古を始めてみると、あの自由さを獲得するのに大変な努力がいることがわかりました。
しかし、あの日が合気道の始まりだったのです。
あの地道で、進歩のない期間がいかに長かったか思い出すと、恥ずかしくなります。なぜそんなに長かったのか思い巡らすと、もっと恥ずかしくなります。
「強い酒」がこの行動をとらせたのであり、私は「自分を飼い慣らすまで、従順な自分はいない」という格言が真実であることを容易に証明したのです。あれは格言だったのか、あるいは私が単につじつまを合わせただけだったのか?
とにかく、今から思うと自分自身を布団の中の綿、つまり私の弱い心に吹きこむ風を和らげるよりよいもの、にくるもうとしているように見えることに長い年月を無駄に費やしていました。でも私は稽古のあり様に惚れこんでいたのです。
受身で畳に頭を向けて空中を飛んでいるときには、何にも隠すものがありません。怖がっている場合、痛みをもたらすのは投げられていることではなく、恐れなのです。
畳の上でケガをしたことも何度かありますが、その時はいつも、私が躊躇していたからであり、リラックスしていかければいけない時に固くなっていたからであり、頭を下げ流れに乗らなければならないときに見ていようとしたからなのです。
もちろん、やってきたことをすべてやらないでいて、今までに習ったことがすべて収得できる訳がありません。でも、時々、飲み込みをもうちょっと早くしたいと願っています。

I did it! Yes, the coveted black belt is mine. I have passed a landmark on the martial arts road but think about this: I was the oldest person testing. I began this process before many of the others were even born.
It was 1973 when I was given the assignment to photograph a neighborhood arts festival in San Francisco. There were lots of cultural groups doing one thing and another as was the nature of those things in those days.
I chanced to walk into this gym where there were some booths scattered around the edges selling macrame plant holders and a dance group doing some ethnic bebop. I sat and watched and after they were finished this group of people wearing the uniform of martial artists with this very handsome black skirt, the hakama, set up a rectangle of mats.
They preceded to throw each other around with wild and graceful abandon. I was mesmerized by the seeming freedom and effortlessness of what they were doing.
I was to learn later that it was with great effort that freedom was earned. But that day was the start. It is sort of embarrassing to think about how long it has taken me to get to this modest plateau. It is even more embarrassing to think of why it took so long. 'Demon Rum' did the deed and I proved easy proof of the adage that until you tame the self there is no self to tame.
Is that an adage or did I just make it up? Anyway, I wasted a lot of years doing stuff that seems now like trying to wrap myself in cotton batting, the better to cushion the blows to my tender psyche.
But I have fallen in love with the nakedness of martial training. There is no hiding when you are flying through the air, heading for the mat. If you are afraid, it is the fear that will cause the pain, not the fall. I have been hurt several times on the mat and each time it was because I balked, tightened up when I should have been relaxing, tried to watch when I should have been tucking my head and riding the wave.
Of course, I couldn't have learned any of what I have learned without having to do all that I have done. But, I sometimes wish that I was a little faster on the up-take.
私が今、思っていること
新井宏伸/初段

この度、長い期間をかけて初段を頂くことが出来ました。道場長をはじめ、道場の皆様ありがとうございました。
この機会に私が思うことを申し上げ、ご意見いただければと思い、ちょっと生意気ですが書いてみることにしました。
[その一]
指導者、書籍などにより技に関して言うことが違うように思いますが、最近私なりに思うことは、相手と自分との関係、つまり相手が自分より大きいのか小さいのか、力が強いのか弱いのか、動きは・・・、手の長さは・・・、などたくさんの関係があります。
重要なのは教えてもらう時は素直に教えてもらい、自分で考え、自分の技にすることだと思うようになりました。
[その二]
合気道が相気道になっていないか。
練習をやっている時、私の技は本当にかかっているのか、とたまに思うことがあります。技がかかっていないのに倒れる、力を入れない、抜くと変に弱々しい。相手の技を上手に受けようと思いすぎたり・・・。
これからはもっとタノシク、真剣に、力を使い、その線上の中心力、遠心力、引力とかを上手に利用したいと思うのです。これも強弱と方向を持った力だと思います。(但しめちゃ難しい!)
ある本に書いていましたが、レスリング、サンボ、ボクシング・・・には道がついていないが、合気道に道がついているのは死ぬまでやる、やれるからだそうです。道とは一生とのこと。
初段とは、登山で言えば登山口まで来ただけ。これから登る山が300メートル級か5,000メートル級か、それは自分の努力次第。これからもガンバリます。
初段のうらばなし
松田和子/初段

あれは2年前のこと・・・30を過ぎても独身の娘を見かねて、広島の両親が電話をかけてきた。のらりくらりしている娘にしびれを切らせての、お見合いのススメであった。
父「こっちにええ人がおるけえ会うてみんか」
娘「そんなんしとうない」
父「何で結婚しとうないん? そんな娘に育てた覚えはない。人は家庭を持って一人前と言えるんで。一人で安気にしとるけえ、そんなこというようになったんやな。はよう広島へ帰しとけば良かった」
母「私がそのくらいの歳には3人子供がおったなぁー」
せっぱ詰まって言った一言。
娘「今は合気道に燃えとるけえ、中途半端に終わらせとうない。今やめるわけにはいかん」
父「具体的にいつまでのことを言うとんな」
娘「そりゃあ、初段になるまで頑張らんといけん」
というわけで、一件落着。
今回初段を頂き、嬉しさのあまり実家に話してしまった。
「そういやー、むかし、初段をとったら結婚する言うとったなぁー」
アハハハと笑っている両親。ついにあきらめたのか・・・。
初段と言っても私の場合は、実力の伴わない初段であり(自分では「何ちゃって初段」といっている)今後の期待を込めて頂けたものと思っている。
「初段の審査の中で、いちばんデキンで落とそうかと思ったで」といっていた眞吾ちゃんに「値打ちのある初段やなー」と言ってもらえるようガンバラなくちゃ。
両親には「合気道をするようになって立派になった。ええ子に育ってくれた」ともネ!
実戦に役立つ四教
橋本博文/1級

右手で左手を掴み、人差し指の付け根で脈を押さえる。激痛が走り、突然ラッパが鳴る。次に左手で右手を掴み、同じように脈を思い切り押さえる。ウッと呻いたかと思うと、また、ラッパが鳴る。四教が効いていないと、このラッパは鳴らない。確かに、ラッパは鳴ったからには、私の四教は効いたのだろう。
そして次には、内に潜んでいた長年の宿敵、いや、宿便が出てくるのである。ああスッキリした。そう、ここはトイレである。みなさんも試してみるがいい、恐るべき四教だ。最後に手を洗うのを忘れぬように。
「鍛・錬」
岡田栄二/1級

宮本武蔵は、「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」という。
千日といえば3年に、万日と言えば30年になる。それから考えれば、私は本格的に練習をしだして2年足らず。未だ、入門の門の前に立ったところといえる。長い長い道程をこれからも歩み続けたいと念願しております。
”昇級と進級ができて一安心♪”
はやし☆しげお/1級
黒帯のしっぽ
石田史雄/1級

1級になりました。黒帯のしっぽが見えてきました。近くて遠いしっぽですが、必ずつかまえたいと思います。
有段者のしっぽにかじりついてやります。
ランディの思うこと
ボリグ・ランディ/1級

平成13年3月4日の昇段、昇級の皆さん、おめでとうございます。これからもよろしくお願いします。
この間、稽古の後に皆さんの審査用の練習を見ましたが、印象的なことがありました。
皆さんがいろいろな動き方で、いろんな問題意識や目的を持って、いろいろなスタイルと考え方で、一所懸命練習していましたが、私は本当にすばらしいと思いました。
一緒に練習すると、合気道の技と合気道の意味がだんだんわかるようになると思います。そして、いい友達も出来ます。だから、合気道の技や意味を習うためだけでなく合気道をやります。
これからも一緒に練習をしながら、もっともっと合気道を習って、いい友達になって、がんばりましょう!
黒帯に向かって
平尾重雄/2級
2級に昇級させて戴き有難うございました。
千里の道も1歩から、黒帯の道も1回1回の練習のわずかな積み重ねが目的にたどり着く只1つの方法と考え、2級の名に恥じぬよう、又黒帯に向かってより以上精進したいと考えております。
皆様これからも宜しくご指導のほどお願いいたします。
技の広がり
寺見正志/3級

昇級させて頂き有り難うございます。
私は主に夜の部で、都合のつく曜日に稽古させて頂いているのですが、最初のころは曜日ごとに変わる先生の言われることが多少異なると戸惑っていました。
しかし、今は同じ型をするにしてもいろんなやり方、考え方があるのだなと思い、いろんな先生の稽古が受けられる事に感謝しています。
これからも合気道で知り合えた皆さんと楽しく稽古をしていきたいと思います。
松井 清/3級
素敵な午後
長谷川秋子/3級

3月4日の試験も無事終わり、皆様いかがお過ごしでしょうか?
春も足音を立てて近づいて来る今日この頃です。私はといえば、この度の試験で稽古回数を稼ぐべく、必死で道場に通った2月が懐かしく思えます。
以前は、日曜に稽古することは殆どなかったのですが、午前中2回の稽古を終えて、帰宅してからの午後といえば、何とも心地よい時間でした。日々の稽古疲れも手伝って、疲れきった体を放り出し、寝っ転がっているとき、心地よい脱力感というか、充実感というか、とてもすがすがしく、大好きな昼下がりでした。
やはり目標のあることはいい事だなぁ、とつくづく思います。皆さんは合気道を通じてどんな楽しみ方をしていらっしゃいますか?


うまく「マネ」もできませんが
佐藤彰雄/3級

「あの人の技がすき」。
「○○さんのような受けがとりたい」。
で、「マネ」してみる。
「マネ」とは「真似」と書きますが、理想に「真」に「似」たとき「真似」になるんでしょうけどねぇ。「マネ」のまま。いや、それもできてないような。
これから自分の理想に近づくように、いろんな人を「真似」したいと思いますので、みなさんよろしくお願いします。
このたびは昇級させていただきありがとうございました。
いつか段を目指して
今井ももこ/3級

この度、3級に昇級することができて、うれしく思っています。
私がせいぶ館に来るようになったのが中1の1月で、その当時、道場までの階段をドキドキしながら上がっていったのを覚えています。
今年で合気道を始めて5年目になるのに、まだ3級と言うのは本当に情けないことだと思います。私よりも後から入って、もう段を取っている方もいらっしゃるのに、何だか恥ずかしいです。毎週日曜日にしか稽古に来ていないのだから、当然のことでしょう。しかも毎回遅刻して、しょっちゅう休んで・・・ごめんなさい。
今まで3回試験を受けてきて、作文を書くのも初めてです。すみません。今年はまた稽古に来る回数が減ると思うんですけど、2級になったときにまた作文が書けるように頑張ります。何年かかるかわからないですけど。
段なんていったら、本当にどれだけかかるかわからないから、謙虚に行こうと思います。この春からは遅刻しないようにがんばります。
小手返しが出来た!
高木光子/3級

ある日の事。
私、「最近、血圧が高くなって、降圧剤を飲み出してね・・・」。明子さん、「合気道したら癒るよ、一緒にしよ!」
「ほんまかいな」と思いつつ、甘い誘いにのり、眞吾さんの[合気道は何歳になってもエエねん。その人の今までの人生が出るから・・・」との言葉に後押しされ、夫からは「頑張り!」と合気道着・袴をプレゼントしてもらって、8年の歳月が過ぎました。
はじめは、亀の子のように、あお向けにこけたらこけたまんま、手足をバタバタさせて起き上がることもままならず、身体中筋肉痛でロボットのごとく・・・。
そんな私が6年ぶりに若い皆に刺激されて昇級試験を受け、飛び級というおまけ付きで3級を頂きました。
私が途中やめないようにと見守り続けてくれた明子さん、レディースデーの仲間達(特に当日受けを取ってくれた長谷さん、本当に気持ちよくのびのびとできました)のおかげと感謝しています。
最近は相手と向き合い、組んだ手から伝わる諸々のもの(何かはわからない)がとても楽しく、合気道が私の生活の一部になりつつあります。
これからもよろしく。受身は怖くて苦手ですが、少しでも上手くできるように努力します。
「ありがとうございました」
赤石充隆/4級

昇級・昇段試験を受けた方々、そして審査された先生方、本当にお疲れ様でした。
私は理由あって、しばらくせいぶ館を離れることになりました。今回の試験で4級を頂けることとなったのが嬉しいというよりは、むしろ皆さんと一緒に受けることができたこと、試験前に指導して下さった有本さん(いつも遅くまでありがとうございました)、遅くまで練習に付き合って下さった皆さんのお気持ちが嬉しかったです。ありがとうございました。楽しかったです。
短い間ではありましたが、お世話になりました。もし(いや、きっと?)帰ってくることができたら、またご指導宜しくお願い致します。
無題
井上和彦/4級

4級昇級、どうも有難うございます。
さて、皆様もご存知のとおり、合気道は無理な力を使わないで(相手からの力を)丸くおさめる武道です。やってみて、自分が無理な力で技をかけていると指摘されますが、いかに肩肘を張って生きてるのかな? と実感させられたりします。
また、合気道は左右(表裏)で技をかけますので、整体効果(つまり姿勢よくなる)があります。
最後に、まだまだ初歩ですが、これからも頑張ってやっていきたいと思っておりますのでよろしくお願いします。
発見
濱崎諭子/4級

私は高いものを長い間見上げたり、空を見上げながら歩くのが好きです。このクセで発見したことが幾つか。ポートタワーを下から見ると、遠くから見るよりずっと雄大なものだと5年前に知り、キリンを見ていると、意外とワイルドな動物なんだと1年前に知りました。
今年の発見は、阪急の駅と王子スポーツセンターまでの道にありました。大きな木がたくさんあって、とても気持ちの良い道だと知りました。王子での稽古の楽しみがまた1つ増えて、嬉しいかぎりです。
これからも楽しみながらがんばります。
ぼちぼち気長に
花本香織/4級

この度は思いもかけず4級を頂き、びっくりしましたし(実際、中尾さんは賛成じゃなかったらしい)、また正直言ってかなり戸惑いました。
でも、しばらくして、次の級を受けるまでに中身が4級に追いつけばいいのだ、と気がつきました。
私はかなりのぐうたらで、大学では起きて学校へ行ったらもう最後の1コマ、せいぶ館の門をたたくまでの週末といったら、起きたら午後・・・という生活でした。実際今でも道場ヘ行く週末の朝はいつでも、朝寝坊したいなあ、という気持ちとの葛藤ですが、級に伴う中身を、という目標ができた今、1年は365日しかないというのにその日数以上の稽古回数を誇る某T氏とまでは到底いきませんが、ぼちぼち気長に合気道を続けていこうと思っています。
今回の昇級はこのぐうたらな私に本当の中身の伴う4級に、というちょっと上の目標を持たせるために与えていただいたものだと思っています。へっぴり腰をなおすという目標と共に、目指していこうと思っていますので、みなさんこれからもご指導よろしくお願いします。
仕合せ
杉村廣美/4級

4級を頂き、ありがとうございました。
合気道は老若男女、手と手を合わせれば、同じものを共有している、というある種通じ合うものがあるように感じる。私は楽器は全くできないが、それは音楽に似ている・・・のかな? かくいう私は、へっぴり腰を改善すべく楽しく稽古をしてゆきたいでーす翁
昇級昇段された皆様、おめでとうございます。
みんなの笑顔が咲くお花畑
長谷良美/4級

どの稽古時間もそうなんですが、特に火曜の昼はこんな表現がぴったりです。そんなのどかなクラスでも今回の昇級試験前は、いつもより少し真剣にしつこく技を理解しようという雰囲気が高まっていました。
目標を設定してもらうことことによって、目標に向かって指導してくださる方や、受験者同士でわからない点やおぼろげな点を明確にしていく過程が私は好きです。他にも審査の前後を通して発見できることがたくさんあります。
審査前:自分のできていない点を自覚し、分からない点をつぶしていくことに真剣になることができる。
審査中:他の人の技を見て、自分の未熟さを思い知らされる。
審査後:以前よりももっと一本一本を大切にしようと思えるようになる。

結局はどの技も何一つ満足にできていないし、分かったと思うことも次の時点にはまたわからなくなってしまうこともあります。そんな中で審査であれ、稽古時間であれ、誰かにチェックしてもらうことは、自分で気付かない部分を指摘してもらえることが多々あり、すごく勉強になります。
審査前は新旧問わず多くの方が稽古に出てこられるので、それだけでもすごく視野が広がります。普段から心掛ければよいことなのですが、楽しく気楽にしていることが多くて、審査を利用すれば現状に甘んじることなく、もっと上を目指すことが可能になると実感しています。その気持ちをできるだけ持続していくことが今後の課題です。
気長に指導して下さる方々、そして稽古で相手をして下さる方々のおかげで現在の自分があると思っています。これからもどうぞよろしくお願い致します。
いままでも、これからも
香山和宏/4級

この度、4級をいただきまして、ありがとうございました。
前回の試験を受けてから、あっ! という間に月日は流れ、今回の試験となりました。今回の試験での反省点は・・・多すぎるので省略させて頂きます。
その多すぎる反省点を次の試験の際に1つでも無くせるようになれたらいいなぁ・・・と思いながら、がんばりながら、楽しみながら、これからもっと学んでいきたいと思います。
よろしくお願いします
寺見麻衣子/4級

4級に昇級させていただきありがとうございます。まだまだ練習不足ですが、4級になったという自覚を持って、これからも頑張りたいと思います。皆さんよろしくお願いします。
やりたいことが出来る一年に
坂本泰子/4級

昨年はかなり充実した一年でした。
会社を辞めたこともあり、練習回数が増えて無級から脱出でき、また23年間ペーパードライバーだったのですが、パート先で必要に駆られてですが車を運転することも出来るようになりました。そして大好きな Rock Musician のコンサートにも3回出かけ。そのうち1回は Dangerous な Live 会場でしたが、将棋倒しの波もひらりとかわせたりして、これも日ごろの練習の賜物か! と思いました。
4級を頂き、次を目指す気になってきました。今年もやりたいことを楽しみながらやっていこうと思います。
昇級試験を受けてみて
山田年作/5級

半年前に入門して、今回の昇級試験となった訳ですが、とにかく全然ダメだなとひしひしと感じた。
緊張もありましたが、身体が思うように動かない。頭でわかっているつもりでも動けない。俺はロボットか? と思えるほど。
よく体さばき、手さばき、足さばき等というのですが、これらの事が同時にタイミング良く行えないといけないのかな? とも思います。
やはり繰り返しの練習。それととにかく1つ1つの動作を真剣にする。そうでないと受けをとってもらっている相手の方に失礼である。基本的な事でしょうが、これすらまともに自分は出来てないなと反省してます。
何とか5級を頂きましたけど、本当にこれからだナと思います。でも、おもしろいです。とくかく自分で納得がいくまで続けてみようと思います。(永遠に納得などいかないでしょうが・・・)
みなさん、これからも宜しくお願い致します。最後に、試験の時受けを取っていただいた松井さん、ありがとうございました




野口綾子/5級
この度は5級に昇級させていただき有難うございます。
今回はじめて受けたので不安と緊張で頭が真っ白になってしまい、途中で「あれ? 次は・・・?」となってしまいました。それが少し心残りですが、この試験をきっかけに、もっともっと練習して、自分の納得いくような技が試験で出来るように頑張ります。
これからもいろいろと迷惑をかけると思いますが、よろしくお願いします。


紙谷久子/5級
ティムと合気道
ティム・トーマス/5級

合気道は非常にきれいと思う。合気道の動きは美しいだけではなく、合気道の哲学もきれいと思う。他の武道では攻撃もできるが、合気道では、そんな行動は論理的に禁じられている。だから私は合気道はとてもいいと思う。
ティムと言う人は元々攻撃/積極的な人なので、喧嘩を売られたら喧嘩を買う可能性は高だ。でも合気道を始めてから最近落ち着いてきて、問題をもっと上手く避けるようになった。
 第二の理由はコントロール性ができる (controllability)。端的に言うと、自分の身体の動きおよび相手の攻撃等をうまくコントロール出来る。特に相手の攻撃だ。怪我させずに動けないように出来れば、人間的に道徳的に最高だと思う。
以上の理由に基いて絶対合気道をならいたいなぁーと思った。
陶芸をやっていたのに!?
五十嵐康人/5級

2000年に入り、又50歳を超えて自分の生活スタイルに変化をつけるつもりで陶芸を習いに行っていました。
そんな折、仕事仲間と居酒屋で(彼はせいぶ館に通っていましたが)合気道をやろうと勧められ、かなり乗り気にはなったものの年齢の問題もあり、多少「ええのかな?」と思いつつ(どうして歳をとると事を性急に判断したくなるのか?)、その日、中尾さんとお会いさせて頂きました。
明子さんの「五十嵐さん、大丈夫! やれますよ」の一言で翌日、道着を買い、7月8日に入門させていただきました。その間40時間。もし見学の時間を作っていたら5級はなかったと思います。
言葉に感動します。中尾さんの処に〜武か舞か〜というのが書いてありました。すばらしい言葉と思います。今はカラクリ人形ですが、時間をかけて、そう、亀になって、そして孫と一緒にやれる様、もうしばらく頑張ります。
なんせ、昔から復習のない、勿論予習のない五十嵐さんですが、しばらく御猶予を戴いてご指導戴きたくお願い申し上げます。陶芸はしばらく休みます。
集中と爽快感
正木ちづる/5級

せいぶ館のみなさま。いつも丁寧に教えていただきありがとうございます。
私は合気道のことはよくわからないことが殆どですが、稽古している時に集中できること、また終わった後のなんともいえない気持ちいい爽快感がとても好きです。
話が急に変わりますが、みんなに伝えたかったことがあります。去年の夏の終わりから冬にかけて、稽古に殆ど来れない時期がありました。
久しぶりに顔を合わせると「心配していた」と声をかけていただき、自分が連絡をせずに休んでいたためにこういう気持ちにさせてしまったことを反省しつつ、温かい気持ちが胸に沁みました。 
せいぶ館に通いはじめて1年と少し。私はそこでたくさんのエネルギーをもらっています。本当に偶然せいぶ館道場に来ることになったのですが、来てよかったなぁって最近よく思います。これからもスローペースな私ですが、合気道を続けていきますので改めてよろしくお願いします。
うれしかったしけん
さえきたかお/8級

ぼくは、1年生の時から合き道を始めて、今は8級です。
ぼくは、今まで3回もしけんをうけたので、こんかいはあまりきんちょうしませんでした。
ぼくは、1年生の時しけんをうけて、ごうかくできませんでした。その時は、すごく、くやしかったです。でも2年生の時ごうかくしました。今もごうかくしてすごく、すごくうれしかったです。
こんどのしけんの時も、一生けん命がんばろうとおもいます。
しょう級しけん
横本大輝/8級

ぼくは、3月14日8級のしけんをうけた。そのときは9級で、8級にあがることをいのっていました。そして、子供クラスのばんがきて、きんちょうしました。そして、子供クラスがおわって、子供クラスのけっかはっぴょうがきて、8級にうかってうれしかった。
あーよかった
福田智也/8級

2度目のしけんだったからあまりきんちょうしませんでした。最初のワザの練習のときあせがでました。そしてしけんかいしから2時間ぐらい後にぼくたちの出番、わざをしている時あまりなにも考えてなかった。しけんがおわったあとちょっとホッとした。そして「たぶんうかってないだろーな」と思っていたが、8級にうかっていて「あーよかったよかった」と思った。
しけん
一二三麗子/9

わたしの番がきたとき、とってもドキドキしました。でも、10きゅうのしけんをうけたのに、9級になれたのでとってもうれしかったです。
しょう級しけん
住谷浩輝/9級

ぼくは、はじめてしょう級しけんに出ました。はじめて出たからとてもきんちょうしました。でも終わってけっかの時、10級でいわれなかったので、言われないのかと思ったけれど、9級でよばれたのでとてもうれしかったです。さとうくんはとび級やと言ってくれて、ぼくも思ってもいなかったです。
ぼくは合気道をはじめた時はわざをぜんぜんしらなかったけど、いろんなわざをおぼえたいです。お母さんたちは二だんより上にいくまでやめてはいけないといっていました。
2回目もごうかくしたい
木村たろう/準9級

ぼくは、しけんで1回目でごうかくしてうれしかった。じゅん9きゅうになって少しうれしかった。じゅん9きゅうになってよかったです。2回目もごうかくしたいです。2回目もごうかくになったらいいです。
はじめてのしけん
山根たかと/10級

ぼくはしけんがはじめてだったので、少しきんちょうしました。いつもれんしゅうの前うけみはたてに3回できるけど、しけんのときはよこに2回しかできませんでした。
わざは6つもならってるのに、3つしかやらないのはじかんがないからかな。もっとやったらいいのにな、と思います。しけんにおちてもとりあえず級をとれるからよかったです。
よかった、よかった
山根麻耶/10級
はじめてだから、すごくドキドキしながら、しけんの前の練習をしていました。そして、しけんでわたしは、いっしょうけんめいがんばりました。
しけんがおわって、けっかが発表されました。わたしは、10級になりました。でも、いいのかわるいのかよくわかりません。まぁ、よかったことにしておこう。よかった、よかった。
合かく
池田崇悟/10級

ぼくは、しけんで、10級になれるかなとしんぱいでした。そして、しけんのはっぴょうのとき、合かくだったのでよかったです。
初のしけん
池田翔悟/10級

ぼくは、最初のしけんだったのできんちょうしました。でもいしっょうけんめいやって合格したのでよかったです。
−これまでの行事−
11/23(祝) 衛藤・榎本さん結婚お祝い会(せ)
12/10(日) 横田先生追悼演武会、総会、忘年会
12/23(土) 遠藤師範講習会(せいぶ館)
12/24(日) 遠藤師範講習会(王子)、稽古納め
12/31(日) 餅つき(灘屋前)
01/07(日) 鏡開き
02/18(日) 黒帯研修会、国際大会ビデオ鑑賞会
02/25(日) 中尾・小久保さん昇段お祝い会
03/04(日) 昇級昇段試験
03/18(土) 遠藤師範講習会(せいぶ館)
03/19(日) 遠藤師範講習会(王)と昇段祝賀会
03/25(日) 黒帯研修会
04/08(日) マーカス一家(マレーシア)来日、4/12まで
04/15(日) 黒帯研修会
04/22(日) 古林・片山さん結婚お祝い会
−これからの予定−
05/20(日) 松本・楠本さん結婚お祝い会(せ)
05/26(土) 全日本演武大会(武道館)18名参加予
06/23(土) 遠藤師範講習会(せいぶ館)
06/24(日) 遠藤師範講習会(甲南大学武道館)

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