第15号(通算第21号)/2002年(平成14年)11月/発行:(財)合気会神戸支部せいぶ館 編集・文責:和田正志・佐藤彰雄
支部長:中尾眞吾 道場長:濱崎正司/〒650-0011神戸市中央区下山手通8-20-17 えぬビル3F白蘆林内 (078)382-1659
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仕切り線(花)
県立武道館開館〜それにまつわるエトセトラ〜

去る5月26日日曜日、兵庫県立武道館の柿落としが盛大に執り行われました。それに伴い開催された演武会では、兵庫県下の12武道団体の選りすぐりの演武者(テコンドーでシドニー五輪銅メダルの岡本選手、柔道で同じくシドニー五輪銀メダルの篠原選手などいずれの団体も全国大会・国際大会クラス)が出演し、それぞれすばらしい演武が行われました。合気道では(財)合気会本部道場の遠藤征四郎師範(八段)に演武していただき、せいぶ館からも受けとして品川さんと田中さんが参加されました。遠藤先生の息を呑むような技の数々に見とれるうちに、演武の時間はあっという間に過ぎてしまいました。もっと間近で見たい、もっと長く見たいという声が多数聞かれました。
演武会の後には練成会。遠藤先生に教えていただくために県下のいろいろな合気道団体が一同に会し、普段いっしょに稽古しない方との稽古を行うことができました。その時の遠藤先生に一生懸命向かっていく小さい子の姿がとても印象的。合気道の未来は安泰だなぁと勝手に思ってしまいました。
さて、この県立武道館、1階に各武道団体の紹介ビデオが展示されており、そのビデオ作成にもせいぶ館は一枚かんでおりまして、合気道紹介ビデオに映っているのは中尾さん以下せいぶ館の面々。訪れた際には一度ご覧になってみてください。
また、この時の武道館柿落としが縁で知り合いとなった堀内和子先生にお願いして、後日武術太極拳の講習会がせいぶ館で行われました。柿落とし当日の演武会でも仲間内の注目度が高かった太極拳を、実際に体感できるとは!? ということで講習会当日には50人近くの参加者があり(当日合気道の稽古をしなかった人含む)、太極拳のほんのさわりを体験させていただきました。合気道と動きが似ているところではニヤリとしながら、また随所で関心の声と「もうだめ、もうえらい!!」との悲鳴とを聞きながら、楽しく有意義な時間をすごすことができました。
縁が縁を呼び広がる稽古仲間。すばらしいですねぇ。(文:佐藤彰雄)


紙谷さんのイラストです。ダブルクリックで詳細がわかります。どこかで見た人が・・・・

おめでとうロゴ
平成14年9月度 昇段・昇級 おめでとうございます
四段 佐伯公宏 中尾明子 福長 章
参段
澤辺義典 嶋田茂人
弐段 榎並淑恵 久河浩也 有本ひろみ
初段
佐藤彰雄
1級
西川 渉 別役明法 松井 清 香山和宏 西澤荘平
2級
吉岡秀雄 紺田益誉 嶋田諭子 松本知之 鳴嶋保雄 福田宗弘
3級
香崎広宙 紙谷久子 バジャージ・ヴィシュアナット 神谷貴志
4級
金 明順 山崎高司 今井信雄 山下豊幸 村尾邦明 坂田真理
5級
阪下愼一 遠藤綱一 永尾頼子 小畑 亙 玉村淳子 一法師 勝


第1回せいぶ館土用稽古完遂者 14人
中尾 河村 玉置 新阜 佐藤 西澤 鳴嶋 松本 長谷川 五十嵐 金 山崎(高) 坂田 玉村

審査
中尾眞吾/六段/支部長

無事、審査が終わった。夏の間、くそ暑い中、しんどいのも、ものともせずに精進を重ねた結果だ。四段、3人。三段、2人。二段、3人、そして初段は1人。多くの昇段者が誕生した。
来年に45周年を迎える道場ではあるが、今回の昇段者の中で、旧精武館はもちろんの事、第二道場を知らない人がいる。そういう意味でこの道場は、新しい道場ともいえる。現会員のうち200人ほどが「せいぶ館」になってからの会員だ。
思えば、審査そのものを年に2回、確実にするようになったのも、震災の前ぐらいからである。それまでは年に1度、年末にしていたのだが…。
前の道場長の横田さんとの会話。
「中尾さん、試験受けそーな人おるかな…?」
「はい、ちょっとは…」
「チョッとか?! ほなら春になってからでもしょうか?」
「………」
その春が…その歳の年末になったこともありました…。
私たちの世代は、取り入れの時期になり、実がたわわに実ってきて、その実が枝から自然に離れる、その時が昇段審査を受ける時。その様に先輩から教わって来、それを実行して来た…と思っている…。「名簿」を開くと、一つの段から次の段まで7〜12年位かかっている時もある。もちろん今のように、週に10数回の稽古が出来る環境ではなく、火曜日、土曜日、日曜日しか稽古日がなかったので、今の人に比べると数段稽古量で見劣りがするのは確かだ。そんな中、少し下の世代になると、様相が変わってくる。ある若い人は、先日昇段したところやのに、又、審査を受けている…。(最近でもたまにこういう人がいるが…)審査が発表になると道場にひんぱんに姿を見せ、審査が終わると次の審査まで彼を見るのは稀になる…という人。
私たちの同輩が三段の時に新しく入門してきた会員が、まだ彼が三段なのに三段になった、ということもあった。
「先生、私受けます」
「えっっ!!!!!」
困惑した横田さんの表情を、今もはっきりと憶えている。
昇級、昇段は、最大の関心事の一つである。それが不公平にならないように、数年前に、色んな人からアドバイスを頂き、せいぶ館の審査基準を設けた。もちろん、東京から離れている神戸だから、「田舎の3年、都の昼寝」が基本方針だ。その受験資格は、本部道場の基準に比べて、日数は長く、年数は長く、稽古回数は多く、にしている。
私の独り善がりであろうけれど、この最近、やっと旧世代と若い人たちとのバランスが、概ね、とれて来た様に思う。
私達にとって、昇級、昇段が、稽古の最大の目的になるのは避けねばならないが、一つの節目としてそれを待ち望むのは楽しいことだ。しかし、人が人を評価するという事は骨の折れる事であり、出来ればしたくない事である。私にとって審査の日は、審査をされる日でもある。
私の敬愛する先生は亡くなられる2日前まで稽古をされていた。最後の技は、座技の一教であったという。
究極の楽しみは、その日まで、道着で、   さ よ う な ら。(9月14日)

仕切り線(花)

『五輪書』・宮本武蔵
小久保弘/五段
千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を練とす。
能々吟味あるべきもの也。

鍛錬という言葉はもともと金属を火や水を通し鍛え練り、刀剣に仕上げていくことを意味しており、武蔵はこれを具体的な練習日数の単位として、鍛と練の二語に分けて意味付けなおしている。千や万という単位設定は適当な比喩ではなく、技の習得にとって具体的な目安である。
スポーツでも芸事でも千日(約三年)練習を経た動きは一生の技として身につく。百回の練習では起こらない質的な変化が千回の練習によっては起こるのである。万日という十年単位の稽古が積み重なると、千日の稽古で得たものより格段に質的に高い技と認識を得ることが出来る。量が蓄積すると質的な変化が起こる。「量質転化」を武蔵はこの言葉で表現している。
実際にこの努力をしている人にはよく分かる言葉だと思います。ある時急に今まで出来なかった技が出来るようになり、動きが早くなるなど、また動きだけでなく質的(気が入る。体重が乗る。)に変化があらわれる。千回の練習によって起こるのである。
このことは武蔵でなくても誰でも身にしみてわかる事と思います。わからないという方はまだ万日稽古を完了していないということです。
頑張りましょう。道場に来ている時が一日ではありません。常に合気道を頭に入れておれば毎日毎日が合気道の稽古です。生きている事が合気道です。

仕切り線(花)

分かれ道
佐伯公宏/四段
今年の4月に、私は、東京から戻ってせいぶ館に復帰しました。
東京には3年半いましたが、本当に楽しく過ごせました。神戸では年に3・4回しかお会いできない遠藤先生ですが、本部や六養会に行けば先生の稽古を受けることができました。加えて、藤井さんに紹介していただいた竹澤先生にも本当にお世話になり、特別稽古で多くのことを教わりました。両先生のお弟子さんとの稽古も本当に充実していました。私にとって、何ものにも代え難い貴重な経験です。
特に最初の一年は、単身赴任ということもあり、道場の稽古以外でも楽しいことがたくさんありましたし、また、夏ごとに佐久の合宿に行けるのが最高の楽しみでした。勢いで、今年の夏も家族連れで佐久に行き、遠藤先生ご夫妻や清水さんご一家にも大変お世話になり、もともと合気道にあまり関心のなかった妻がとても感動して喜んでいました。
振り返ってみると、せいぶ館でも東京でも、合気道についてたくさんのことを学びましたが、今は「経験してきた」という段階で、身につけるには至っていません。東京にいたときの稽古のメモを見ても、できていないことが多いこと。ひとつひとつ自分のものにしていきたいと思います。
このたびは四段をいただきました。先生方や先輩諸氏には本当に感謝しています。東京の3年半を充実して過ごせたのも、せいぶ館の先生や先輩方に稽古をつけていただいていたおかげです。
これからは、遠藤先生の言われる「自分がどうあるか」ということを心の中におき、自分自信のありようを感じ、感覚を研ぎ澄まして、もっと、もっと、自分の体を自由に使えるようになっていこうと思います。このままのレベルで終わるか、合気道のふもとに近づいていくか−これからが、分かれ道。今からです。

仕切り線(花)

けったいやな〜
中尾明子/四段
「けったいな嫁ハンやでー」 30年私たち夫婦を、温かく見守ってくれた人の口から、最近良く出る言葉です。
そのけったいな嫁ハンが、とうとう四段を頂きました!審査のビデオを見て、「打ち合わせどうりやっとんと、違うの?」と産みの母。人の苦労も知らないで…。「おまえも簡単やとおもうて、家でわしを投げんといてよ」とは、実の父。たまたまその場に居合わせた近所の叔母さん「すごいで、大きな男の人をバッサバッサと明ちゃんが投げるんやで」と、ご近所に吹聴するは…。
何時の間にやら、ほんまにけったいな道を歩み始めているのかなー。
30年前、姑に、「眞吾のブレーキになってよ」と、結婚して直ぐに言われました。母親は、息子にはブレーキが最初からないと見抜いていたのだと思います。だから何でもオープンで、チョッと考えるよりも先に行動している夫です。私はというと、反対に引っ込み思案で泣き虫でじっとしてるほうがどちらかといえば好きなタイプでした。それがどうしたことか朱に交われば何とやらですね。
今私は、ブレーキをかけんと、アクセルだけを踏んで、合気道をするもんやと、云われ続けています。そしてその様にしたいと思ってるのです。中途半端にならんように!
今朝「スーパー100歳」の人たちのテレビを見ました。働くこと、愛することこそ、長生きの秘訣だそうです。今丁度その半分の人生の折り返しを、過ぎた所です。私の行く道が見えました。もう楽しくてしょうがない合気道。たくさんの師匠に恵まれ、暖かい先輩や後輩に囲まれ、もういややーとは言えそうにない所にはまってしまった私。
先日義父の25回忌をしました。90才になる叔母が、初めて道場を見、3階の稽古の様子を覗いてくれました。「眞吾にはようけの子供ができとう」
父の残してくれた、2つの仕事のお陰で、立派な道場を作ることが出来ました。丸6年という日が経とうとしています。けったいでも幸せやからいいやんね!
そんなけったいな嫁さんを、見守ってくれている(内心呆れながら…?)義母に感謝し、後50年元気で行く為に、皆さん改めて今後とも、よろしくお願いします!

 

悔しさと晩学
福長 章/四段
昭和19年、西宮の鳴尾に住んでいたが、川西航空機が連日空襲を受けたため、父の郷里−鳥取の山村に疎開し、小学校3年から高校卒業まで、当地で暮らした。
百姓の手伝い、家畜の世話をしながら少年時代を送り、作物を育てるには、最適の時に種をまき、手入れをなし、刈り取らなければならないことを体験した。
しかるに高校時代を怠惰に暮らし、受験勉強は高校卒業後に始めた。
これがそもそも晩学の始まりとなった。
会社の同期生は1〜2年後に生まれた連中であったので、自分の晩学を悔しく思っていた。20〜30代は晩学を悔やむより、世の中には、才能、財産、容姿、家柄など、逆立ちするほどの努力をしても超えられない壁に囲まれていることを徐々に知り、悔しい思いをした。
合気道は43〜44才の頃、交通事故のリハビリとして始めたが晩学であった。
鍼灸師の養成学校には56才で入学した為、同級生は自分の子供より若い子も沢山いたが、文字通り晩学であった。
長ずるに及び、商売の状況、家族の様態、友人の消長、会社勤務時の競争相手(勝者)などに徐々に悔しさがなくなって来た。
居合道の試験に、四段時4回、五段時3回不合格になり、やめようと考えていた際、七段の先輩が、悔しい気持ちになるのは心が若い証拠であるから、頑張るように励まされた。
今回の審査では思うよう体が動かず悔しかった。これは晩学の悔しさではない。
審査の先生方のお情けによる合格と心得、今後2年間、稽古を20%増、酒30%減で対処したい。


「合気落し」って?
澤邊 義典/三段

「肩取りから、『合気落し』をやってみてください」浜崎道場長からの課題に、『合気落し』??? 初めて聞く『技』の名前に一瞬、戸惑いながら、技の名前にイメージで色々と試みるも、後ろの審査席から「違うな」暫くして又、「違うな」の道場長の声。首を横に振りながら、口元に半ば笑みを含み「してやったり。無駄な抵抗はやめなさい」とのお言葉と推察。悪足掻きはやめて、私、「『合気落し』分かりません」
「合気落しで、三段は落ちたな」との思いで審査結果を待つことになりましたが、この間、私、「合気落としって、他の有段者知っとるんかいな。多分、知らない人多いんとちゃう、そんな技。いや、知らないのは自分だけかな」と、自問自答。後で、横に座っていた中尾支部長から、『合気落し』と『合気投げ』を教えて頂き、「ああ、それやったら知ってます。今までにやってます」は、後の祭り。あまりやらない技でも、技の名前は、知らないよりは知っていた方がいいに決まっているのですから、皆様も試験の前には、教則本をしっかり読みましょう。
以上のように、今回の試験では色々ありましたが、『三段』を戴き有難うございました。今一度、基本に還りながら、『間合い』と『出合い』を大切にし、息の長〜い合気道を続けていきたいと思いますので、ご指導の程よろしくお願いいたします。
なんとなく

仕切り線(花)

なんとなく
嶋田茂人/三段

合気道の極意は己を宇宙と調和させることにある。これはどういうことなのだろうか?
宇宙は約150億年前に約10-30cmから突然現れ(実数時間領域を考えた場合)、膨張を続け、今に至る。宇宙の動きというのは、ただ単にエネルギー的に安定な方向に進んでいるだけである。電子、原子、分子から恒星、銀河に至るまでその法則に従っており、単細胞生物から知的生命体への進化などもまたその法則に従った結果である。それが調和? こういった宇宙のような単純な動きを身に付けることが合気道なのか?
確かに力を抜いて、重力をタイミングよく利用すれば、無理なく体の小さな人間が大きな人間を制することができるような気がする。恐怖心や自分の欲望に打ち勝ち、落ち着いて行動できれば様々な状況に対応できるような気がする。しかし、自然界では大は小より、多は少より強い。恐怖心があるからその状況から逃げる、あるいは、体を硬直させることにより防衛しようとする。食欲や性欲などの欲望があるからこそ、動物は繁栄することができる。ということは、無理のない自然の動きを身につけるつもりが、不自然な状態になろうとしているのでは?
人為の加わっていないものが自然? しかし、人間もまた自然から産まれ、自然に属している。ということはその人間の作った自動車、飛行機、コンピュータ、ロボット、高層ビル、合成化学物質、これらも自然の一部では?
偉人達は「無」を追い求めるが、世界中の人間が無の境地に達したら、人類は滅びないだろうか?
何事もバランスが大切であり、それが調和。その道が合気道?
こんなしょうもないことをなんとなく考えています。そんなことよりも、とりあえず稽古をしよう。
最後となりましたが、昇段させていただきありがとうございました。これも、指導者の方々を始め、いつも稽古してくださっている皆様方のおかげです。これからもよろしくお願いします。


いつでも初心
榎並淑恵/二段
後押しをして下さったすべての皆さんありがとう。おかげ様で二段。初段筆頭からようやく脱却できました。このまま初段だったとしても一向に構わないと思っていましたが、二段を頂いてみればそれなりに、一合目と二合目では見える景色が違うように、少し心構えも変わってきたかな、と思います。
合気道は私のトライアングルの一つ。以前新阜さんが、父上が合気道をしていたからその接点を求めて、と動機を書いていましたが、私もまた父が合気道をしていたことで入った世界。だから合気道を、単なる運動に来ているのではない、という中尾さんの言葉もまさにそのとおり、とわかっていました。
もう先がないんだから、と言われて受けた今回の昇段試験でしたが、合気道とは運動でも気分転換でもない私にとって、これからは名実共に二段であるように、「いつでも初心」の稽古をしていきたいと思っています。そしてお互いに? 先がない二人にとって、まず私が中尾さんの稽古に出て技を吸収することが目下の課題なのでしょう。いつかそのうち、ではなく今を練習します。

明日ありと思う心のあだ桜
  夜半に嵐の吹かぬものかは

今回受ける気持ちにさせてくださったF氏。受けることを強く勧めてくださったKさん。いつも喜んで相手をしてくれるTさん。これからも引っ張り上げて下さい。丁寧に丁寧に教え導いてくださるSさん。「しょうか」と頻繁に声をかけて下さるKさん。ちょっと痛いです。「技はもう大丈夫?」と間際まで気遣ってくださったTさん。そして今回「受け」をして下さった嶋田君ありがとう。道場のすべてのみなさんの支援に感謝します。
中尾さん、清酒?「ときめき」すご〜くおいしかったです。


方法から目標へ
久河浩也/二段

この一年、大きく変わったことがあります。それは、「やわらかい」「やさしい」ということについての考え方です。
それまでは、「やわらかい」「やさしい」は技の一部としてしか考えていませんでした。「やわらかい」「やさしい」はうまくなるための方法や道具でした。
そんな考えかただったのが、いつのまにかフワーとしたやわらかい状態そのものが楽しいと思うようになり、もっとやわらかく、もっとやさしくなってみたいと思うようになりました。
それからは、やわらかく、やさしい状態を追いかけることが目標になり、そのためには、それぞれの技をどういう感じで取り組んだらいいのかが課題になりました。
自分がどこまでやわらかく、やさしくなれるのか?
行けるところまで行ってやろうと思っています。

削る楽しみ
有本ひろみ/二段

この度、二段をいただきほんとうにありがとうございます。
審査を受けるのは、まだまだおこがましいとの思いがずっとあって消えませんでした。受けることになってからの一週間はあっという間に過ぎ去り、あまり準備も出来ぬままにその日を迎えてしまいました。せめて姿勢だけは良くと思っていましたが、いつの間にか自分の番となりあたふたと何も考えないまま…。
合気道というものの端の方に、もう少し手を延ばせば触れるのではと感じていたのは見事な錯覚でまだまだ手のとどかぬところで留まっているようです。
ただ、暑くても寒くてもしんどくても合気道は楽しいということだけはしっかりと心に刻まれています。又、基本からの出発です。
十数年前から余分なものを徐々にではありますが減らすというか削るというかそんな生活をするようになってきています。洋服ダンスもピアノもエレクトーンも始末することが出来ました。ものの方はなんとかなってきているのですが、余分な気持ちを削っていくのが難しいのです。合気道でも余計なことをしない、無駄な動きを削る。これがまだまだ出来ないのです。いろいろな想いがありますが、それが出来るようになればどんなに嬉しいだろうと楽しみでもあります。
これからも気持ちの良い稽古を…。皆様どうぞよろしくお願い致します。

いつかそのうち
佐藤彰雄/初段

料理人の包丁捌き。陶芸家のろくろまわし。ピアニストの演奏。などなど。
本人はその気がなくても日々の精進の結果、はた目には「美しい」と見えてしまう動きって実はいろいろあるのではないかと思います。結果としてきれいな動きに「なってしまう」。同じ事が合気道でも起こるのでしょうか。
合気道を続けていると、私の動きもいつかそのうちきれいな動きに「なってしまう」時が? なんと楽しみな話。そのためにもこれからも稽古にはげもうと思います。皆様相手してやって下さい。
土曜日の初心者クラスに初めて参加してから3年。この度初段を戴きました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

私は見た
別役明法/1級

あれは8月の中旬のある週末の深夜だった。
梅田からナカモズに向かって御堂筋線に乗っていた。ある女の子が扉のすぐ横、座席との隙間に立っていた。彼氏らしき男がすぐ後ろに立っていた。不釣合いなカップルに見えた。しばらくして、心斎橋あたりで気が付いた。どうもチカンみたいだ。
昔、腕ひしぎ逆十字で泥棒(正確には不法進入犯?)を捕まえたので、今回はこのチカンを逮捕しようと決めた。が、奴はプロというか、手で触らずに、何か電車の揺れに合わせて体ごと寄せるというかとりあえず手口がビミョーなのだ。
ダンダン腹が立ってきた。揺れに合わせて肘鉄でも入れようかとも思ったが、もしかしたら本当の彼氏かもしれないし、手が出なかった。難波あたりで、奴は私に気が付いた様だったが、そのまま平然として次の駅で降りていった。やっぱりただのチカンだった。完敗だ。あんなひ弱そうなチカンに負けてしまった。
ナカモズで友達Tに会ってその話をしたら、ダメダシの後、こう言われた。
「そういう時はチカンの肩を叩いて、『今、何時ですか?』と聞け」と。
さすが友達T(昔、聞かれたのか?)。

感謝 1級昇進
西川 渉/1級
小生は腰痛の持病を抱えている。そもそも8年前に合気道を始めたのは、腰痛を治したい一心からである。長年の稽古のお陰で、すっかり忘れるほど、腰痛は治っていた。しかしこの夏久しぶりに腰痛が再発し、この3ヶ月間苦しんだ。合気道の稽古をしていたのに、である。合気道をしているから大丈夫という慢心があったのかもしれない。
温泉に行ったり、整体、温灸、牽引、投薬、いろいろ試して医者通いに明け暮れた。にもかかわらず、治らない。しかしその間、合気道はできたし、稽古の後は痛みを忘れていた。また7月には八ヶ岳に登ってきた。
これは一体どういうことなのか、不思議に思っていると、ある月刊誌の記事に目が止まった。それはある弁護士の頑固な腰痛が抗うつ剤によって、劇的に治ったという内容で、うつ病と腰痛にどのような関係があるのか、興味深く記事を読んだ。
それによると、自律神経には交感神経と副交感神経があって、交感神経は身体を緊張させ、副交感神経は身体をリラックスさせる働きがある という。人は仕事や勉強で緊張し、休息やスポーツでリラックスして、それらを繰り返し、身体の状態をコントロールさせて、健康を維持している。しかし人によっては交感神経の働きが強すぎたり、副交感神経が働かないと、緊張が持続して、筋肉のこわばりと萎縮が起こり、血行が悪くなる。またストレスがたまると、脳疲労となって脊髄に影響し、自律神経と筋肉を緊張させる。それらが腰痛や肩こりの原因になる。うつ病はこの自律神経のアンバランスが進んで、発症する病気だそうだ。
心と身体は不可分一体のものであるとつくづく思う。特に背中や腰は神経の束が通っていて、人の心的作用の影響を受けやすいところだ。腰痛になると、痛みをかばって、動かなくなり、それで腰の周りの筋肉が衰えて、椎間板ヘルニアに進行するという。だから急性でない場合は、かえって運動をした方が腰には良いことになる。
振り返れば、小生の気づかないうちに、肩に力が入って、頑張りすぎていたのかもしれない。今は反省して、力を抜いてのんびりやっている。秋風とともに、腰痛もおさまり、また稽古に励めるようになったのがうれしい。
最後になりましたが、先日の昇級審査で、1級に昇進できました。講師の先生をはじめ、稽古仲間の皆様のお陰と感謝申し上げます。今後ともご指導のほどよろしくお願い申し上げます。

これまで。これから。
松井 清/1級

この度は1級頂きましてありがとうごさいます。
昇級昇段試験の後の昼食会、仕事の都合でなかなか参加できず、いつも残念です。この場をおかりしまして、日々御指導頂いた先生方、先輩方、稽古の相手して頂いた皆様、試験の時に受けをとって頂いた新阜君にお礼申し上げます。また昇級昇段なさった方々おめでとうございます。
早いものでせいぶ館に入門して丸3年になります。ちょうどその頃より日記をつけだしまして、読み返してみると稽古のことがいろいろ書かれてあり、いろいろ思い出される3年です。
これからも痛い腰をさすりながら(?)がんばって行きたいと思います。よろしくお願いします。

教わるということ
香山和宏/1級

この度は1級を頂きありがとうございました。
私はたまに子供クラスに行ってます。はじめは先生役の人数が足りなくて臨時で手伝いを頼まれたのですが、その時の子供達の稽古を見て、目から鱗が落ちる思いがしました。
子供達はとても楽しそうに受け身を取ります。それはうまく受け身を取れるからではなく、受け身をすること自体を楽しんでいるのです。頭を打とうが、背中を打とうが関係なく、ただ単純に転がることが楽しくて仕方がないといった様子で。それを見た時今の自分にない純粋に稽古を楽しむ心を子供達に教えてもらった気がします。師はどこにでもいるものだと思いました。
だから私はこれからも子供クラスに教えに行くのではなく、子供達に教わりに行きたいし、と思います。

土用稽古に参加して
西澤荘平/1級
この度の審査で1級をいただきました。ありがとうございます。
7月末にありました、土用稽古に今回参加させたいただきました。
スタートから2・3日たった頃は、しんどかったら途中で止めてもいいかなと気楽に思って参加していました。しかし40・50代の元気なおじさんたちが続けているのをみていると「負けてはいられない」と俄然やる気がわき、10日間やり遂げることができました。せいぶ館の中年のおじさんパワーには、稽古、飲み会、共に驚かされますが、若い者の一人としてがんばっていきたいです。
最後に、夏のビール腹解消に土用稽古はお奨めです。

一回一回の練習
吉岡秀雄/2級
まず最初に、感謝とお礼。
今回、2級をいただきまして有難うございます。
各曜日の先生方、一緒に練習をしていただいた皆様方のご指導のおかげで昇級できましたので、感謝とお礼を申し上げます。それと試験3日前に突然「取り」をお願いして快く承諾してくれた神谷さんにも感謝致します。
私、吉岡は、あまりマメに道場に行くことが出来ません(言い訳がましいのですが)ので、いつも練習にいくと必ず「おっ久しぶり」とか「名前忘れたわ〜」とか「受身、できますか?」等々、真剣に言われたり致します……。
かなりショックです、ハイ。
そんな私ではございますが、生活のリズムの中に合気道が入っている位、合気道が好きなのです。でも悲しいかな頻繁に練習に行くタイミングが中々合わないので一回一回の練習の中で自分のテーマ決め練習内容をより濃いものにしようと頑張っています。
例えば、「今日は臍下丹田に意識を集中してみよう」とか「相手の力の方向を意識してみよう」とか「相手に力をチョット当てて誘ってみよう」などを考えながら練習しています。あと特に頭の中に常にあるのが、「力が余分に入っていないか」と「リラックス・柔らかく」でしょうか。
次の目標は、2年を目処に昇級する! ことでしょうか? ま〜気長にのんびり気持ち良く練習して行きたいと思います。

追記 「後ろ取り首締め」って何? 泣きそうになりました…。

嫁さんありがとう
紺田益誉/2級

もっと練習します。

家族
嶋田諭子/2級

昇級昇段審査の翌週、東京で就職している兄のもとを訪ねました。
近頃なにやら身辺で大変な目に会っていた兄。心配している両親の気持ちを抱えて、夫婦で出かけました。久々に会った兄は一時の落ち込みから少し脱し元気になって、昔より優しくなっていました。
私もそうですが、兄も家から離れて家族に思いやりを持つようになったような気がします。結婚してから家族のことをとても大切に思うようになりました。せいぶ館に来なければ旦那さんと会うこともなく、そんなことに気が付かなかったかもしれません。
まさか始めるとは思わなかった合気道をきっかけに、大切なものがどんどん増えていきます。まさに「愛」に通じる「合気道」。開祖がおっしゃった通りです。
これからもたくさんの人と知り合い、技も心も豊かにしていきたいと思います。


名付け
松本知之/2級

昇級ありがとうございました。今回も合気道とはまったく関係なく、個人的な内容の作文です。
さてご存知の方も多いとは思いますが、今年の5月、我が家に長男が産まれました。経験された方も多いと思いますが、悩んだのが「名前」です。
色々と本等を買ってきたり、インターネットで調べたりしました。やはり気になったのが画数です。天画・地画・人画・総画と色々あるのですが、すべてを吉とするには、なかなか難しいものです。いくつか条件を満たすものもありましたが、全体の響きが気に入りません。世の中の流れに従うのか、それとも自分の感覚を信じるのか、なかなかの悩みどころです。
結局は自分の感覚を信じることにしました。瞳が大きなところと、聡明で明るい子に育って欲しいという、親の勝手な願いを込め「瞭平」と名付けました。
ちなみに画数は…、頑張って強く生きてください。

土用稽古
鳴嶋保雄/2級
土用稽古が終わると8月になっていました。熱中症を心配しつつもどうにか完遂することが出来ました。有り難うございました。お疲れ様でした。
普段の朝稽古は、さわやかにも鳴き始めたばかりのセミの声に送られて道場に通っていました。梅雨空も上がり好天が続き、夏が始まりました。随分と昔の事で恐縮ですが、中学生の頃、やはり夏の好天気の中、部活で毎日毎日泳いでいました。真っ黒に日焼けして仲間達との帰り道、時々教師の家に寄り、レコードプレイヤーなるもので、アルフレッド・ハウゼのコンチネンタルタンゴ。「真珠採り」や「碧空」などをよく聞いていました。晴れ渡った夏の青い空は、哀愁を帯びたタンゴの旋律と重なって、時々懐かしい記憶をよみがえらせてくれます。
ところが、土用稽古が始まると、連日連夜の熱帯夜、朝だというのに道場も32度、搾り出す大量の汗、「ボーっ」とする頭、おまけに「配慮、遠慮」とは無縁の誰かの投げ技、固め技、暑さと技の二重攻撃は、親父の肉体と精神を、顔から皮膚から関節までも、軋ませ軋ませギシギシと「苦痛の旋律」を奏でるのでした。タンゴの曲もどこへやら、ほのかな感傷さえも吹き飛んで、昔少年だったおじさんは、初めての「夏の思い出」に身を任せたのでした。
それでも、随分と身体には気を使ってきました。土用稽古の間「断酒」を励行したのです。肝臓の疲れは稽古に良くないと考えたのです。だから、稽古が終わったら、灘屋の大ジョッキ10杯は飲むぞ、生ビールの風呂にだって入るぞ、Sさんの「八海山」も全部飲んじゃおう。などと考えていました。結果として12日間の「断酒」となりました。
さて、稽古が終わっていざ飲む段になって、好みの魚や酒を揃えていると、何かが違っていました。いつもの「期待感」が湧きません。ワクワクして来ないのです。余程、稽古疲れが残っているのか、それとも、お酒の要らない体になってしまったのか。今度は、断酒を断つのがもったいないのです。
思えば合気道を始めてから娘に、「お父さん性格変わったね。」と言われました。体型も変わりました。もしかしたら、合気道は人間を作り変えてしまうのかもしれない。そうであるならもう一度、少年の頃に変わりたい。土用稽古を終えておじさんが、冷たいビールで乾杯すると、それはとても苦いのです。そうです、「あの頃」の隠れて飲んだビールの味がするのです。土用稽古に感謝。乾杯。
昇級昇段審査も終わって9月になりました。2級も頂きました。皆さん有り難うございました。父君の都合で、当日出席出来なかったIさん、わざわざのお電話有り難うございました。土用稽古が続けられ、審査が受けられる。皆さんのおかげです。せいぶ館が醸し出す、あの緊張感とぬくもりは、私にとって、十分に刺激的なのです。これからも宜しくお願い申し上げます。

アザニモマケズ(抄)
福田宗弘/2級
アザニモマケズ 風邪ニモマケズ
カンゲイコニモ夏ノドヨウゲイコニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ
ケイコノカエリニ 中ジョッキ2ハイト サケショウショウヲノム
箒ハタタミノメニソッテハキ ゾウキンハカタクシボリ
東ニセナカニコブヲツクッタヒトアレバ オレニモアルゾト見セテヤリ
西ニ日焼ケノセナカアレバ ダイジョウブカトタタイテヤル
ヘタクソナドトハ クチガサケテモイワズ
ワザガカカラヌトイッテ チカラマカセニヒトニアザヲツケルコトモナイ
ソウイウケイコヲ ワタシハツヅケタイ
…などと言いながら稽古を楽しませていただいています。
このたび、皆さんのおかげで昇級できました。ありがとうございました。
今後とも引き続きよろしくお願いします。

合気道をやめようかなぁと思っている人へ
香崎広宙/3級

このたびは昇級をさせていただき、ありがとうございました。今回、昇級・昇段をした方々と比べると、昇級させていただいたことが恥ずかしいのですが、実力はまだまだだが、もらった級に対して恥じないぐらいに稽古に励め、という意味だと肝に銘じて、今後も稽古に励みます。
このたびの昇級試験を受けるにあたり、いつ前回の昇級試験を受けたのか調べてみると、かなり前の平成10年9月である事に驚きました。そのとき昇級、昇段した方々の名前を見てみると、「ああこの人も一緒に5級になってたのか」とか、「この人はまだ白帯だったのか」とか色々と感慨深いものがありました。
4年と言えば、入学したばかりの大学生が就職するぐらいの歳月…。うーん、なんて長い時間稽古を怠っていたのだろう。その間、仕事が忙しかったり、私生活で精神的に余裕がなかったりし、そんなことを言い訳に、ちょっと来ては休み、ちょっと来ては休みの繰り返しで、いつのまにか4年が経っていました。出席状態が著しく悪かったにもかかわらず、退会扱いにもせず籍を残して頂きました。せいぶ館の皆様方には、ご迷惑をおかけしました。
そんな自堕落な私でしたが、今年の始めぐらいに、精神的に落ち込み、「自分にはなにもないやん。流されるままに生きてきたし、人に誇れるような才能もないし、今まで何をやってきたんやろ…」という虚無感におそわれてしまいました。なんとかそんな虚無感を埋めようとし、これだけはやったと目に見えるものがほしくて、朝稽古に行くことにしました。
久しぶりに通ってみると道場の様子もかなり変わっており、心理的な敷居がかなり高く、稽古にはついていくことが出来ず、「やはり来なければよかった」と思うことしきりでした。しかしここで止めれば、やはり何も身に付かないまま、元の木阿弥になってしまうのは明らかだったし、とにかく道場に行くことを第一目標にしていました。またその頃、朝稽古でよく一緒に稽古をしていた山田さんが亡くなられ、命のはかなさを考えさせられました(山田さんのご冥福をこの場をかりてお祈り申し上げます)。
それでも稽古の最中はなにもかも忘れることができ、うまくなろうということよりも、精神的な支えがほしくて、頻繁に通うようになっていました(合気道の技の向上を目指す皆さんにとっては、動機が許し難いものであるとは思いますが…)。でもいつのまにか、受けも楽しくなり、技もなかなか覚えられないなりに、楽しくなってきました。その結果、昇級試験を受けさせてもらえる稽古回数になった次第です。
本来なら、合気道に関する具体的な取り組みなどを書くのが適切だと思うのですが、書けるようなものは持ってないし、それはうまい方々に任せることとしました。
せめて自分の体験でも書いて、「長いこと行ってなくて、行きづらいからやめてしまおうかな」とか「仕事忙しいし、やめようかな」なんて思っている人でも、こんなに不熱心であっても続けている例もあるのだから、もうちょっと続けてみようかなと思ってくれる人が一人でもいればいいな、との思いで書いてみました。
これからも、亀の歩みで続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

2002夏バージョンSEIBU缶風景
紙谷久子/3級

上にあるイラスト制作者です。(編集者)

3級のテスト
バジャージ・ヴィシュアナット/3級

私は3級の試験を受けるにあたりとても緊張していました。あるとき、着替えの部屋で濱崎道場長にお会いしたとき、道場長から「合気道だけじゃなく自分の生活でももっとリラックスして」と言われました。そのすばらしいアドバイス通りに生活したいと思います。
この度試験に合格したことはとてもうれしく思いましたが、これからはもっと練習して技に磨きをかけたいと思います。いつも親切に私の稽古を助けてくださる先生方および道場の皆様方にお礼申し上げます。

Dear Senseis,           Bajaj Vishwanath
I was quite nervous about taking the San Kyu Test. In the changing room I met Dojo Cho Hamazaki Sensei who told me to relax not only for Aikido but in my life also. I do hope I can follow his good advice. I was very happy to pass the test and hope to train and improve my techniques. I would like to thank all the senseis and everyone who are so kind to always help me with the techniques. 

昇級試験を終えて
神谷貴志/3級

合気道を真剣にやりだして1年が経ちました。5級を取るまでの1年余りは健康管理の一環としてやってきましたが、5級の試験の時に見た黒帯クラスの審査や演武を見てからは自分もあんなふうになりたいと思うようになり、「よし、真剣にやってみよう!」と気持ちを入れ替えて稽古するようにしました。それからは初心者クラスということにこだわらず時間が空いていれば道場に足を運ぶようにしました。
一般のクラスに行きだすと稽古回数も増え、はじめたときは週に1,2回だったのが3,4回になり、今では1週間稽古に行かなければ「長い間、稽古に行っていな…」と思い時間を作って稽古に行くようになりました。入会したときはこんなに合気道にはまるとは考えもしなかったのですが、こうなれたのもせいぶ館の人たちが良くしてくれたおかげだと思っています。これからも今の稽古のペースを続けて、いろいろな合気道を学んでいきたいと思っているのでどんどん稽古をつけてください。
余談ですが8月から週に1回の歯医者の前に朝稽古に行っています。そこで不思議な光景を見たのですが、T氏を筆頭にどの曜日の朝稽古にいってもほぼ確実に稽古に来ている人たちがいます。「仕事は何をしているのだろう? 会社に遅れないのかな?」と思っているのですが、いつも聞くタイミングを逃して歯医者に向かいます。私の中ではこの人たちを「合気道を愛する朝の鉄人たち」と勝手に呼んでいます。朝稽古にはこんな不思議なことや面白いことがまだまだありそうです。
歯医者に通っている間かもしれませんがこれからの朝稽古が楽しみです。

なぜ合気道をするのですか?
金 明順/4級
私の今最大のテーマです。どうしてですか?
初めは、汗かくのが気持ちいい、ビールがおいしい、少し技 が出来るようになって嬉しい…。でも仕事が忙しい日にやっとこさ時間を作って、せいぶ館に出かける時に、フッと頭に浮かぶのが「どうしてがんばっちゃってるワケ? 私??」。それから真剣にこの事を考えています。それから出た答えは…つづきは次号にて(冗談です)。
「力を抜いて、自然のあるがままの力で、無理なく気持ちよく動く」なのでは。きっとこうやって生きていけたら、素晴らしいだろうなと思いあたりました。
私はまだ始めて1年半ほどですが、性格的に楽しいだけでは続かないと感じたのです。そしてこの答えをずっと探し続けるとも感じています。ところが! 私の合気道も生活も、余計な力ばかりなのです! あ〜〜〜〜まだまだね、トホホ…。ま、でもノンビリやっていくつもりです!
先日TVの料理番組で男の先生がアシスタントの小さなドジを「いいんですよ、何回も何回も同じ失敗をして、学んでいくものなんですよ」と、おっしゃっていて小さく感動しました。
これから私も、何回も何回も何回も、教えていただく事になりますが、皆さん飽きずにあの手この手で、どうぞよろしくお願い申し上げます。
最後に、マイライバル福田さん、本当にありがとうございました。

体力
山崎高司/4級

この度、皆様方のおかげで4級を頂くことができました。下手な私に根気強く御指導してくださりありがとうございました。書中ながら厚く御礼申し上げます。
この場をお借りしましてお詫びしなければいけないことがあるのですが、朝稽古のとき仕事のため早退しており掃除をしておりません。誠に申し訳ございません。土用稽古期間中も早退が何日かありました。これでも完遂かな? と思いながら道着をいただきました。ありがとうございます。
昨年11月から朝稽古に参加し始めましたが私用等で中断していました。今年4月から再び朝稽古に参加しています。中尾先生をはじめとする皆様方に稽古をつけていただいています。ハアハア息を切らし必死で稽古しています。
そのおかげか落ちていた体力も復活し近年、梅雨から夏にかけてばてていたのが今年は全然ばてませんでした。野球の試合のときも昨年は真夏の暑いとき、立っているのもつらかったのに今年は猛暑の中1日何試合してもピンピンしていました。まわりからは「異常やぞ」、「細いくせにどこにそんな力あんねん」と言われていました。
今後もこれまで以上に稽古に励みます。これからもよろしくお願いいたします。

からだがかたい
今井信雄/4級
今回、4級をいただきありがとうございました。今後も精進しますのでよろしくお願いします。
ところで、私は体が非常にかたくて、とても困っています。小学校の頃から一度も柔らかくなったことはありません。たぶん血のめぐりが悪いのだと思います。低血圧ですし体温は35度台で低いですし、冷え性もひどくて夏に汗をかいてても手足は冷たいというありさまです。
肩こりもあります。特に右肩です。大学時代に体育会系のクラブに入っておりまして、ずっと防具を右肩に掛けていました。たぶんひどくなったのは、そのころからです。肩を回すとボキボキと音がします。大学時代から音がしなくなった時期はありません。合気道をはじめて血のめぐりは良くなったとは思いますが、それでも体はかたく、冷え性は治っていません。生まれつきだとあきらめるしかないのでしょうか。

前向きに
山下豊幸/4級
この度は、4級をいただきましてありがとうございました。
さて、日頃より稽古は前向きに取り組んでいるつもりなのですが、腕前は足踏みしているのか、前向いて下がっているのかがわかりません。また、下手さがわかるようになり嫌になることもありますが、見捨てずに指導してくださる方や稽古で相手してくださる方がいるおかげで合気道が続いています。これからも前向きで続けたいと思っていますので皆様よろしくお願いします。

私の目指す合気道
村尾邦明/4級

この度、4級を頂き有難うございました。
今回の審査での、皆さんの演武をみていて、2級の演武に合気道の技の全容が含まれているのかなあと感じ、技の体系を認識できた気がしました。今までは、その日その日の練習を、夢中にやっていたのを、これからは、体系の空白を埋めていく練習が出来ると感じております。これからも、皆様のご指導を頂き、更に深く合気道の楽しさを味わえるよう、練習に励みたいと思っております。どうぞ、よろしくお願い致します。
姫路では、立派な武道館の落成記念にふさわしい、数々の武道の紹介を楽しく見ることができました。中でも太極拳の演武が、遠くから見ていると、赤い中国服の、お人形のような正確で可愛らしい動きだったのが印象的でした。
後日、その方が、こんなに年配の人だったのかと驚きましたが、その時は未だ、30歳代後半ぐらいにしか思っていませんでした。実際の年齢を聞き仰天しましたが、驚いたのはそればかりでなく、指導を頂いた時の、トレーニングパンツの外から明らかに伺える、隆起した太腿の筋肉でした。常に中腰でありながら安定した腰、正確な足の運びと、軽やかな上半身の動きは、この鍛えられた太腿に由来しているのだと納得しました。何事も人が卓越した能力を身につけるには、其れなりの鍛錬があるのだと、改めて悟りました。
先日中尾先生に、私の右肘が痛んでいると仰って頂き、皆様に気を使ってもらって、お陰さまで、これまで、悪化の一途を辿っていたものが、回復の方向に向かい始めました。あの時、先生は私が入会の時は五体満足だったと仰って下さいましたが、実は満身創痍の状態でした。
鞭打ちの後遺症で、準備体操で首を回すことが出来ず、後ろ受身をすると首に痛みが走り、整理体操で腹筋を伸ばすために担がれると、ぎっくり腰がキリキリ痛みました。膝は3000m級の山の日帰り登山を続けて、慢性の膝痛になり、膝行をすると痛みが脳天に響きました。どの位続けられるだろうかと心配しながらの練習でした。肘も空手の回し蹴りを受けたときの古傷が両腕にあり、そこを強烈な逆間接を取られたので、痛くて顔に手が届かない状態になりました。
しかし、首と腰と膝は合気道を始めて、10ヶ月ほどすると、不思議に痛みが消えて力が入るようになりました。これまで、運動を続けて来て直らなかったものが、合気道を始めて直ったと言うことは、せいぶ館の皆様の合気が練習を通して、直してくれたのかも知れません。時々「力を抜いて!」と言って、筋肉を伸ばしてもらったり、肩をなぜてもらったりして、とても気持ちが良かったのですが、そんなときに気が入ったのかもしれません。
中尾先生は怪我が治る先生と巡り会えたと仰っていましたが、せいぶ館には怪我が治る合気が練習に満ちているのかも知れません。私もそんな合気が出来るよう励みたいと思っています。

幸せです
坂田真理/4級

せいぶ館に通うようになって9ヶ月程になります。振り返る程長くはない時間ですがこの9ヶ月間を思い返してみると、楽しかったという言葉に尽きます。
友人に誘われ、なんとなくで始めた合気道。ですが、今はそれが楽しくて。日々の時間の過ごし方まで変化してしまいました。例えば、朝稽古に出るため健康的な早寝早起きになったり、何かのイベントがあるとお酒も飲めないくせに夜遅くまで出歩くようになったり(コレは余計な事かも知れませんが…)。
そして楽しい合気道を通して沢山の方々−尊敬できる方、憧れる方、面白い方、優しい方等々−と出会えて。合気道を始めていなければ、こんなにも大好きと思っている素敵な方々とはきっと知り合うこともなかったはずで。そう思うと、よりいっそう合気道に出会えたことが幸せなことに感じられます。
楽しいと思えることに出会えたこと、その楽しいことをやれていること、一緒にいて楽しい方々と出会えたこと、それらの幸せをかみしめつつ、これからも頑張っていきますので、皆様宜しくお願いします。



感謝!
阪下愼一/5級

良友? のIさんに誘われてせいぶ館に入って早1年2ヶ月が過ぎ、昇級試験を受けることになりました。遅れたのは、この1年間にいろいろなことがあったのと、仕事の関係でしたがNさんやIさんそれに若い二人のYさんたちの叱咤激励により、ようやく昇級試験を受けることになりました。
この年で、試験を受けることになるとは思ってもいませんでしたので、前日は眠られず、当日は、頭の中真っ白でえらく早く終わったなーと思い、後で何かぬかしたのではと反省ばかり? していました。何とか級を戴き、名札も揚がりやっとせいぶ館の一員になれた気がしています。ここまでつきあって戴いた仲間に感謝!

マイペースで
遠藤綱一/5級
熱しやすく冷めやすい、という性質の為、仕事と習い事は長続きしたことがありません。カッとノメり込んで熱中するのですが、自分である程度満足すると急に興味が醒めてくるのです。しかし、短期間に覚えたことは忘れるのも早いようです。
合気道はそうならない様にスローペース、マイペースで身に付けようと思っています。
こんな不熱心な生徒ですけど熱心に指導して下さる品川さん、和田さん感謝してます。お陰で5級いただけました。ありがとうございます。

何も知りませんでしたが
永尾頼子/5級

練習回数がギリギリにもかかわらず、審査を申し込んだことに一旦は後悔しましたが、この度5級を頂くことができました。
お手本を見てもなかなか理解できない覚えの悪い私をいつも丁寧にご指導してくださる先生方、せいぶ館の皆様のお陰です。ありがとうございました。
また、今回はじめて先生方、上級者の方々の演武を間近で拝見させて頂けたことはとてもよい刺激になりました。
以前から年齢を重ねても続けていける武道を習いたいと思っており、選んだのが合気道でした。どのようなことをする武道なのか全く知識のないまま入会し、こんなに筋肉痛や打ち身に悩まされるとは思ってもいませんでした。しかし、今では足や肩にアザができることにすっかり慣れてしまった自分自身に驚いています。
今までは漠然と練習をしていましたが、級を頂いたことで、練習に対する気持ちが少し前向きになったように思います。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。


名札
小畑 亙/5級

この度、皆様方のおかげで5級を頂くことができました。本当にありがとうございます。昇級後道場ではじめて名札をみて、「亙」の漢字になっていたのには少々感動しました。小学校から社会人まで名前が載るたび訂正を依頼していた字が…。
せいぶ館に籍を置く間この縁起の良い札とともに気持ち良く稽古していきたいとおもいますので、これからも宜しくお願いします。

もっと稽古を大切に
玉村淳子/5級
このたびは5級を頂きありがとうございました。合気道を始めて半年あまりになりますが、その間に合気道に対する印象はどんどん変わっています。
先日の昇級昇段審査の時も、同じ技でも級によって歴然と異なるのを目の当たりにして、技の名前を言われたら一応それらしい動きが出てくるようになったからと喜んでいる場合ではない、時間も体力も限られているのだから、もっと一回の稽古を大切にしなければもったいないと思いました。
というようなことを、後の宴会で言おうと思っていたのですが、うっかり5級と5段を言い間違えたショックで言いそびれてしまいました(ヘタレな自分を再確認しました)。

ありがとうございます
一法師 勝/5級
このたびは、昇級させて頂き有り難うございます。
練習のほうも、仕事の関係上いつも違ったよう曜日にしか参加できず、遅刻もしばしばですが、無級から5級になると、やっと少しは皆さんの仲間入りが出来たかな? と思います。
昔から合気道に興味はありましたが、なかなか決心がつかず、30歳直前にやっと、せいぶ館の戸を叩くことができました。力ばかりが入ってた、今までの自分のライフスタイルも、少しは合気道とともに流れるように変わっていくのかな、と期待しつつ、いつまでも続けることを一番の目標にしたいと思います!
はじめての試験については、反省点ばかりですが、これからも、皆さんご指導よろしくお願いします。


蘇生法・救急法講習会

 10/13せいぶ館において蘇生法・救急法の講習会がありましたので御紹介します。講師は消防署にお勤めの一法師さん。プロです。蘇生法は心肺蘇生法、救急法は三角巾を使った応急処置と熱中症の対処の仕方を習いました。
 心肺蘇生法:細かい方法を紹介しても体験しないと意味がないので書きませんが、感想はとにかく疲れるということ。皆さんも一度経験しておくといいかと思います。TVドラマのようにはいきません。

〔 (心臓マッサージ15回→人工呼吸2回)を15秒サイクルで1分間に4回 〕 を連続5分以上

ということができないといけないらしいです。
 素人が下手な事をやって良いのかと言う疑問には、
「心肺停止している人は、その時点でゼロなんです。ですから下手でもなにかすると言うことは、プラスになることはあってもマイナスにはなりません」
という一法師さんの言葉が心に残りました。



 救急法:三角巾を使った捻挫や脱臼の応急処置の方法を習いました。覚えておくと役立ちそうでした。と言うことで、以下おさらい。

 

 

 怪我がないのが一番ですが、もしもの時もあわてず騒がず落ち着いて対応したいものです。
−これまでの行事−
5/19(日) 兵庫県立武道館 開館記念式典・記念フ
 ォーラム
5/25(土) 全日本合気道演武会(日本武道館)(中尾・
 藤井・古殿・田中・ラッセル・徳山・久河・山口・
 鳴嶋・ブライアン・花本・佑樹・慶応大生2名)
5/26(日) 兵庫県立武道館 兵庫武道祭(遠藤先生
  以下約60名)
6/4(火)〜6(木)荒川さん(ゆうび会)来神・稽古
6/23(日) 兵庫県合気道連盟設立準備会(桃李門)
6/29(土) 遠藤先生講習会(せいぶ館)
6/30(日) 遠藤先生講習会(甲南大学)
7/14(日) 平川君結婚お祝の会(食祭館)
7/23(木)〜8/1(木) せいぶ館土用稽古
8/3(土)〜8/5(月) 滝川学園合宿
8/4(日) 武術太極拳講習会(堀内和子先生)(約50名)
9/1(日) 昇級昇段審査打ち合わせ(伊賀富)(濱崎・
  中尾・打越・佐治・佐々木・和田)
9/8(日) 昇級昇段審査・演武会・食事会(せいぶ館)
9/24(火) 松平さん 退院
9/29(日) 兵庫県合気道連盟発会式(桃李門)(濱崎・
  中尾・佐治・久美)
10/3(木)〜 県立武道館で講習会10回コース(親子
 教室−和田、初心者教室−濱崎・コール)
10/8(日) 道主講習会 (豊中ひびき道場)
  (中尾・佐治・明子・澤辺・河村・新阜・山口・佐藤・
 香山・西澤・坂田)
 レセプション(ホテルエアポートふじ)
  (中尾・佐治・明子・河村・新阜・佐藤・香山・西澤)
10/13(日) 蘇生法・救急法講習会(講師 一法師)
10/17(木)〜19(土)荒川さん(ゆうび会)来神・稽古
11/2(土) 神戸三田道場演武会・合同稽古
11/2(土)〜3(日) 合宿(丹波荘) 栗林師範 
11/4(月) 栗林師範講習会(せいぶ館)

−これからの予定−
12/8(日) 横田前道場長追悼演武会・総会・忘年会
  (せいぶ館)
12/21(土) 遠藤先生講習会(せいぶ館)
12/22(日) 遠藤先生講習会(甲南大学)
12/29(日) 稽古納め
12/30(月) 餅つき(灘屋前)
1/5(日) 稽古始め・新年会(せいぶ館)



<編集後記>自分が初段を頂いた記念のせいぶ館通信を担当することができました。ありがとうございます。
合気道を初めて3年。その間に世の中、身の回りで変わった事・変わらない事いろいろ在りますが、せいぶ館に来て一番変わった事といえば年間飲酒代でしょうか? そして次の大きな変化が知り合いの人数の激増。なんでも「知人の知人の…」と知人をたどっていくと4、5人、多くても7、8人で日本中のどこの人にでもたどり着くことができるそうで。合気道が縁で広がるネットワークを駆使すると世界中のどこの人にでもつながりそうですね。これからも縁を大切にしたいと思います。(佐藤彰雄)





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