平成9年3月 昇級・昇段おめでとう!
四段:松平 三段:品川 二段:野田、嶋田 初段:増田、菅原、片山
2級:新井、アダムス良江、福永、田中 3級:神徳、八尾、松田、杉 5級:柏木

いつもの朝     中尾眞吾/支部長/五段

6時半、起床。前日から用意の道着を抱えて家を出る。宇治川商店街を横切り、下山手8丁目へ。鳥屋さんはもう仕事の真っ最中。左へ廻ると、ゆるやかな坂道。道場への道だ。ここで毎日、同じ人達に出会う。
ジョギングの女の子、ゆっくりと歩を進めている。4月になってから見ないが、どっか他所の大学にでも入ったのかな。自転車が猛スピードで坂を下りてくる。ニッカボッカ姿やから土木関係の人だろう。道の向こう側には、リュックを背負い、耳にはイヤホーンの人。何を聞いているのだろうか、せかせかと駅へ向かっている。125ccのオートバイに乗っためがねの人。西の方から右折をし、エンジンを吹かして行く。この人も何年もの間、定時に家を出ているのだろう。「真面目」を感じさせる人だ。犬と散歩のオバチャンもいる。たかが200メートルもない位の道やのに、いつもの時間にいつもの人達を見る。
下山手公園まで来ると寝ぼけ眼もある程度直っている。ここでもいつもの情景、ゴミの山。ホームレスの人達が群がっている。汚す人がいる一方、いつものオバさんがゴミを片付けている。この町に住む人達のそれぞれの生き方を見る。
ゴミの山から顔を上げると、正面に六甲の山並みだ。緑がもこもこと萌え、山が笑っている。私たちの記念樹にも芽がついた。今日ももちろんええ日になりそうだ。朝気を一杯吸うての朝稽古が始まる。
皆さん、頼んます!! 色んな人とええ汗を! お願いします。

昇段させていただいて      松平秀利/四段


合気道を始めて今年ではや21年目を迎えることとなり、ふと気がついて周りを見てみれば多くの後輩の人達に囲まれて、後を追いかけられながら稽古を続けているという感じの中で、この度、四段をいただくことになりました。
合気道を始めた当時は、打越さん、和田さんたちが二十歳台後半の元気真っ盛りのときで、教えてもらう時はいつも全くといっていいほど相手にされず、「いつになったら黒帯になれるのだろう。これはひよっとしたら無理じゃないか」と思ったものでした。
私が合気道を始めた当時は初段をいただくのは大体5年位かかるといわれており、何とか頑張って行こうと思いつつも、その道のりの長さと自らの技の未熟さに何度かあきらめかけたこともありました。
正に有段者の方達は「雲の上の人」でありました。そんな私も初段となり、二段、三段と遅々とした歩みでやってこれましたが、正直いって四段になれるとは夢にも思っていませんでした。
私が三段になってから、先日結婚された加藤さん、佐伯さん、アダムス、川端さんの息子さんの政志さんなどの若い方達がメキメキと頭角を現して、私の尻に火をつけてくれ、たるみかけた私の心を引き締めてくれたお陰で今の私があると感謝しています。
また、昨年の12月まで土曜日の夜のクラスを担当させていただき、力のない私を支えてくれた若い人達。並びに、そのような素晴らしい機会を与えてくださり、かつ見守っていただいた中尾支部長や諸先輩の方々のお陰でなれたものと思います。心より感謝申し上げます。
思いもかけないことですが、安心することなく、心をますます引き締めて稽古を続けていきたく思います。そして自己の技の上達を目指すのはもちろんですが、相手の方あって合気道の稽古が成り立ち、かつ上達があると思いますので、相手の方を思いやりつつ、(逆に思いやられそう‥‥)さらに一歩ずつ歩んでいきたく思います。
最後に、至らぬ私を見守りご指導くださる皆様と、休日になると家を飛び出す私に嫌な顔をせず送り出してくれる我が家族に心より感謝申し上げます。

昇段まで、昇段から      品川高宏/三段


 この度は、三段への昇段をさせていただき、本当にありがとうございました。
 皆さんから声援と拍手をいただいて、信じられないような、こそばいような、嬉しいような、重いような複雑な気持ちです。 そして、一瞬頭をよぎったことが、さらに気持ちを複雑にさせました。
 二段という段位を持って、精武館に入会したのが、平成5年6月。その時の衝撃をふと思い出しました。
 誰にも全く技がかからず、当時、白帯だった○年三羽がらすと言われる、澤辺さん、北川さん、山下さんのうまいこと。自分で袴をはいていることが、とても恥ずかしく、少しの自信が打ち砕かれた瞬間でした。
 入会直後の時期は、稽古帰りの電車の中で、こんなにいやな思いをするなら、いっそやめてしまおうかと考えてしまうほど落ち込んだり、悔しくて眠れなかったり、レベルの違いに逃げ腰になっていたような気がします。
 そんな気分を一新させてくれたのが、入会一年後から始めた朝稽古でした。 とにかく実力をつけようと思い、あせっていた気持ちが、だんだん薄らぎ、楽しめたらいいという気持ちに変わってきました。
 その間、道場の方とも仲良くなれ、名古屋へ行き、山口先生に3回だけ触ってもらい、津山へ行き、横浜へ行き、いろいろな人と出会い、合気道の楽しさや奥深さを改めて感じました。
 技もそのうち上達するだろう。かからなくても、そこから学びとろう。技だけでなく、そこから何か感じ取ろう。何事に対してももっと敏感になろう。そう考えられるようになっていく自分に納得していました。
 昇段の際に頭をよぎったことは、忘れかけていた、入会直後の自分の情けない姿でした。まだそんな小さいことにこだわって、心と体がしばられていたのか。つまらない自分に気付いた瞬間でもありました。
 まあ、それも自分だから仕方ないかと開き直り、これからも楽しんでいきたいと思っています。目標として、せいぶ館で教えられる時間がもらえるくらいまで、上達すること。
 書いたら実現するかもという言葉を信じて書いてしまいました。

カナダから帰って      中尾明子/二段


5月の連休にカナダの友達を訪ねてきました。ロッキー山脈の西方にあるネルソンという、人口8000人の田舎町。そこから車でさらに1時間、ミラーレイクというきれいな湖の北に彼らの通っている道場があります。私達が訪ねた時が、創立5周年という記念日でした。
彼らとは、今を去ること10年前、遠藤先生の講習会で出会い(フィリップ・ミリアム夫妻そしてウェイン)、一緒に稽古をするようになり、私達との深い付き合いが始まっていきました。(この交友関係が大きな“きっかけ”となって旧第二道場を造り、家業の製麺業を止めることになり‥‥ま、それはおいといて)。そして2年後、母国へ帰っても何とか合気道を続けたいなー、と思いながら神戸を去っていきました。
また一方、横浜で合気道を修行し、本国で道場を持ちたいというカナダ人“ルネ”がいました。彼は、国中をあちこち訪ねてまわり、ネルソンにたどり着き、そこで合気道をしているグループがあるのを知り、早速連絡をとったようです。そこがフィリップの家でした。実はフィリップ夫婦は願いどおり、わずかな経験(故横田道場長より4級をフィリップは頂いている)だけで、細々と稽古を続けていたのです。しかもその電話の最中に、彼らはお互いに思い出した‥‥9年前の夏、佐渡島で自転車のひとり旅をしていた時、道の向こうとこちら側ですれ違い、「合気道をしている」と話し、「じゃ又、何時か、どこかでOK? さようなら」と別れた、あーあのカナダ人?!
思わぬ所で糸がつながり、ルネはその地に決めたのでした。その道場が出来て5周年。セミナーハウスもあり、鹿も走り歩く、広い広い庭。大きな滝も敷地内にある。すばらしい仲間達とこころよい汗を流したのでした。
その後、バンクーバーへと出て行き(フィリップ夫婦と4人で玄米のおにぎりをほおばりながら2日がかりでドライブです)、15周年を迎えるという道場も訪ねてきました。
その道場はアメリカ人のジョアンナさんが5年、その後を日本人のたまみさんが10年と女性がずっと教えておられました。お二人は九州の菅沼先生に習われた方達で、ここでも又もちろん楽しい時間が過ぎていったのです。
菅沼先生とは浅からぬご縁があり、先日もよっちゃんと加藤君の結婚披露宴でお隣同士。又ルネとは、山口先生の講習会で13年位前よりよく知っていた間柄‥‥。この目に見えない糸は何なのでしょう?
合気道が大好きで、大先生の目指された合気道を想う時、世界中へ輪が広がるのは当然なんだ! と。
新しい道場になって半年近くたちます。1月15日には大先輩の野比道場長の岡田主さんが来られ、また里帰りのついでにと藤井さんが時々お見えになり、5月24日には若林さんも寄って下さった。
まもなく40周年を迎えようとしている神戸せいぶ館。歴史を大切に守りながら、自由で豊かな道場を目指して、さぁ、今日も楽しく稽古をしましょう、ネ!

二段になりました      野田和利/二段


 学生生活の終わりに、二段を取ることが出来、「ほっ」としたというのが今の気持ちです。「とにかく落ち着いてやろう」「相手が誰であれ、焦るな」と自分に言い聞かせて試験に臨んだつもりでしたが、なかなかどうして、受けが替わったとたんに自分のイメージと違った技になってしまいました。
 相手と和合することが、合気道の基本であり、極意であると分かってはいてもそれがどんなに難しいかがよく分かった試験でもありました。
 合気道は本当に難しい。とことんそう思いました。一つ一つの動きや、技の、いわゆるテクニックは稽古を積み重ねることで身につけることが出来るようになると思いますが、受け、攻めてくる相手を自分の技の流れに取り込むことは相手と触れあった一瞬、もしくは相手と向かい合った一瞬に決まってしまっていると思います。その一瞬をつかむことが今の自分には抜けていると感じています。
 今まで、毎日のように合気道をしてきました。私は、根が真面目なのでどうしても何事もむきになってしてしまうのですが、合気道はそういうときはちっとも上手く技が出来ない。かからない。中尾さんに、「野田くんはあたま堅いからなー」と、言われ続け、そのたびに「そんなことないですよっ!」と怒っていたけれども、そう言われただけで怒ること自体、頭が堅い。
 なんとか頭も体も柔らかくしたいと思い、合気道をしています。なかなか柔らかくなれないのですが、一つ一つの稽古を笑顔がでるくらい楽しくやっていきたいと思っています。そして遊び心を持って稽古するくらいが今の僕にはちょうどいいと思っています。
 4月から社会人となりますが、遊び心を忘れずに仕事も合気道もやっていきます。

僕にとっての合気道      嶋田茂人/二段


大学のクラブから合気道を始め、2回生の10月から旧精武館第二道場に入門させていただき、3月16日の昇段審査によりめでたく二段に昇段させていただくことができました。
僕は、クラブや習い事などいくつかやったことがありますが真剣にやったことがなく、合気道と巡り合い初めて真剣にやっています。これはやはり合気道が楽しいからであり、他のみんなも真剣に楽しくやっているからだと思います。また、合気道は心・技・体のうち技・体はもちろんですが、心の部分を最も成長させてくれたと思います。
合気道をやっていなければこの大学4年間は、想像しただけでもおぞましい学生生活になっていたと思います。とりあえず、まだ僕にとっての合気道は始まったばかりでありますので、これからも明るく、楽しく、真剣にやっていきたいと思います。

やっと初段を取りました      菅原久志/初段


 合気道をやり始めてから十数年、やっと初段が取れました。
ついこの間まで、道場の中で走り回って、中尾先生に何回も「練習せえへんのやったら帰れ!!」と叱られていたのに、こんなに長く続けられてしかも袴まではけるようになるとは、思ってもみなかった。
これからは、中尾先生に叱られないように、合気道を真面目に楽しもうと思っているのでよろしくお願いします。

初心にかえって      片山瑞穂/初段


 私が合気道と出会ってから10年ちょっとになります。「10年も続けてるの?!」とびっくりされることがよくありますが、実際、真面目に取り組み始めたのは、ここ半年のことです。
 子供のクラスから始めた私は、合気道が楽しくて、精武館に通っていたのではなく、中尾先生に怒られながら、追いかけっこするのが楽しくて続けていたのです。その頃は、先生が見ていない所で友人達と集まりペチャクチャ井戸端会議をして、先生が怒る寸前で真面目に練習するふりをしていました。
高校・大学受験で3、4年ほど合気道と離れていましたが、再び合気道に目覚め、再び中尾先生とのつきあいが始まりました。先生も私も同じだけ年をとったけれども、気分は子供のクラスの時のままです。
こんな状態でここ半年、朝げいこに参加させてもらい、合気道の楽しさを教えてもらいました。3月の昇段試験では初段までいただき(大学卒業というおまけの初段かも知れません)、私はすごくうれしい! これも中尾先生、明子さん、せいぶ館の方達がとても親切に合気道を教えてくださったおかげです。
少し(?)ブランクはありましたが、個性あるたくさんの人との出会いもあり、続けていてよかった! と思っています。今は合気道がとてもとても好きです。
 4月から社会人になり、少々いそがしくなると思いますが、皆さんこれからも私を鍛えて下さい。よろしくお願いします。

ふと思ったこと      福永吉伸/2級


早いもので、朝稽古を始めて1年近くになる。季節も良くなるし、生活にも締まりが出るかもしれないという軽い気持ちがきっかけだった。
学生にとって朝寝坊は特権のようなもので、目が覚めると昼近くということも、誰しも経験があるのではなかろうか。
不思議と朝稽古はレギュラー陣が決まっている。理由は人により様々だろうと思うが、やり終えた時の満足感やすがすがしさは皆感じているように思う。
気候のよい春や秋はやはり人数は多くなる。ただ夏の一番暑い時期やさらに冬場ともなると一転、道場の広さを実感できる毎日になる。この時期はちょうど稽古の中頃くらいから朝日が差し込んでくる。うす暗く寒い早朝の空気から穏やかな光に満ちた世界へと変化するのだ。
こんな何でもない自然の営みにふと気づき、「また日が少し長くなったなー」とうなずきあう。そして気がつくと、朝7時にはもう太陽が降り注いで道場内を照らしていた。また春がやってきたのだ。
軽い気持ちが長続きして、合気道の方も充実したいい稽古ができるようになってきた。ここまできたら、もっと続けて朝来ようと思う今日この頃である。いつものメンバーは新年度で少し変わってしまうが、朝の気持ちのよさは健在だ。
またあの寒い冬が来て、朝稽古がつらい季節になるまでコツコツ続けていければいいと思う。そしてまた次の春が来る頃には、合気道も少しはうまくなっているかもと期待しつつ、気楽に楽しみながら頑張っていきたい。
1年は長いようで短い。続けたといってもまだ1年。継続することはけっこう難しい。こんなことをふと思い、気持ちを新たにした。

旅の話のつづきの話      田中利幸/2級


次は四国か九州だと思っていたら、オーストラリアに行くことになり、2月22日から3月14日までの20日間かけて旅してきました。
行き帰りのチケットだけで後は何も決めぬままに東北部ケアンズに到着。日本人の多さに驚きつつYHAに2泊した後、中央部アリススプリングスへ行く。ハエの多さに驚きつつエアーズロック登山などなど、キャンプで3泊した後、東南部シドニーへ。ゲイパレードに驚きつつ、3泊し、ここで以前来神された合気道家のコール氏宅に電話。
何とか私の英語が通じ、彼の住むタスマニア島ランセストン行きが決定。そしてコール氏宅に3泊(内3回稽古)。次にホバートの合気道家ケン氏宅に1泊(内1回稽古)。その後再びコール氏宅で1泊お世話になり、9日朝、コール氏の妻スーザンに見送られ、目を潤ませながら東中央部ゴールドコーストへ。コール氏の紹介で合気道家グラハム氏宅で4泊(内2回稽古)彼の妻キャシーの早口に翻弄される。
こうして色々な人にお世話になり、14日帰国。またもや日本人の多さに驚く。2日後の16日、せいぶ館昇級昇段審査にて2級を頂く。オーストラリア稽古のお陰である。そして25日、うららかな春の日、後輩達に見送られ卒業。下宿も空っぽになり、後は東京に旅立つのみ。そんな今一時、4年間を振り返る。
岡山の田舎から、都会人には負けんぞと、敵意にも似た気持ちで来神して以来、特にクラブの先輩には反抗した。一時は退部届も書いたが、本気で先輩と対峙する内、本気で自分を相手にしてくれている人であること、それが大切な人であることに気づく。何時しか自分がその先輩の立場になり、なんとかクラブに恩返しができただろうか。この4年間の人との出会いの数々は棘だらけだった私の心からたくさんの棘を抜いてくれた。だいぶ楽になった。
この恩返しは、この先出会う人にしていきたい。卒業式で学長が言った美しい言葉で締め括りたい。「それでは、ごきげんよう」。

SHALL WE 合気道!      松田和子/3級


ビデオを借りて「SHALL WE ダンス !?」を観た。役所広司が自分のことのように思えた。思わずじわーっと涙がポロリ。日本映画で泣いたのは「幸せの黄色いハンカチ」以来だ。好きな趣味が持てると生活に張りが出る。わくわくする。嫌なことも忘れられる。最近ちょっぴり姿勢も良くなった。キャーいいことばかり! まだまだへなちょこで、大舞台には立てないけれど、少しずつ成長できたらいいなと思う。
稽古中、自分に「無心」になるよう言いきかせる時がある。ごちゃごちゃ考えず、ただひたすらやればいいのだと思った。でもなんかしっくりこない。先日、遠藤先生が「無心でやる、というけれど、何百回、何千回も技を稽古して『体得』してこそ自分のものとなり、すっと出来た瞬間、無心となる」と言われた。そうだったのかぁ。無心でやるという漠然とした目標ではなく、やはりコツコツと、考えて稽古しよう。
今回3級を頂いてルンルンして家に帰り、自分の写ったビデオを観てがっくり。腕に力が入って肩の左右の高さが違う、足はちょこまか、カチンカチンで私ってこんなにかっちょわるいのー。
私の目指す「やわらかくて、しなやかで、びしっとしてる」合気道とかけ離れているではあーりませんか! ますます精進していきたいと思っておりますので、皆様よろしくお願いします。ねっ。

“合気道を楽しんで”続けます     八尾 喬/3級


若い頃から合気道を是非やってみたいと思っていましたが、50歳になってやっと念願の入門をすることが出来ました。
平成7年9月に見学させていただき、第一印象はスマートで柔らかく、やさしい動きで‥‥私でも出来るような気持ちになり、早速10月から入門。
しかし、実際には痛いし、激しい動きで、こんなにも体力を使うとは考えもしませんでした。せっかく始めたからには、まず3ヵ月続けようと、心に決めてのスタートです。次には6ヵ月、1年、そして1年半になりました。
今では少しは「合気道を楽しんで」の気持ちになってきています。次には足・腰の動きがついて行けるように、が課題です。身体の動きはチグハグでも、気持ちは先行して楽しんでいます。なによりも“楽しんで”の雰囲気づくりを諸先生や各先輩の皆さんがしていただいている賜物だと思います。
しかし、合気道を習っていることは、家族以外の人には秘密にしているんです。どうせ「続きっこないよ」と言われるのが落ちですから。私自らも絶対に袴を着けるまで頑張るぞ、との強がりの反面、常に続けられるかなの不安がつきまとっています。先日、妻も「習い事は10年やらないと身に付かないものね!」と激励の(?)言葉を‥‥。
ビジネスでは「わかる脳」「できる脳」「させる脳」の働きがバランスよく保たれることが求められています。特に一番難しいとされる「させる脳」をどのように養うかが課題になっております。
しかし、せいぶ館では合気道の日々の練習を通じて「させる脳」を自然に養っているんだなぁと感心させられます。黒帯の皆さんには特に感じられます。私自身も「3つの脳」の養成に加えて「学びの脳」を持ち得たように思います。今は何ものより一番の宝です。
この度は、先生のご配慮により3級に昇級させて頂きました。本当に有難うございます。今年も合気道を続けてまいります。頑張るぞ!

私にとって合気道とは‥‥    柏木健志/5級


私が合気道を始めた理由は強くなりたかったからです。
もっと早い時期から習いたかったのですが、地元の淡路島には道場がありませんでした。本で「せいぶ館」を探し出すことができましたが、淡路から神戸まで通うには、車で岩屋に行き、そこから船で明石に着いた後、電車で神戸まで行かなければならないので躊躇しました。
いざ合気道を始めてみると、練習で得る物やそこで一所懸命練習されている方達との話など本当に為になることばかりで、全然苦痛に思いませんでした。
道場での練習は私にとって新鮮で、「こんなすごい技もあったのか」と驚くこともしばしばでした。ただ中尾さんをはじめ道場の方々が、私に理解してもらおうと手取り足取り丁寧に教えてくださっているにもかかわらず、なかなか理解できない自分を恥ずかしく思いました。
また以前は「もし襲われるようなことがあれば返り討ちにしてやろう」など考えていましたが、ご指導を受けているうちに「自分はそんな不純な動機で稽古していいのだろうか」と思い始め、今ではただ「純粋に心身共に強くなりたい」という健全な考えに変わってきています。
稽古を始めてそろそろ1年位になりますが、心も技も体もまだまだなうえ、色々都合もあって稽古も飛び飛びでした。最近土山に引っ越し時間も作れそうなので、これからは稽古に励みたいと思います。そして、「白蘆林」(青少年が合気道を通じて、強く逞しく優しい思いやりのある人間になれるように)の一人になりたいのです。

[編集後記]
品川さんが信じてくれたように、この「せいぶ館通信」に書いたことはどうも実現するようです。今年の正月なつかしい精武館通信創刊号(89年5月発行)を見ていたら中尾さんのこんな言葉が書かれていました。「...いつの日か60畳の道場を作り...」うーん、7年前の夢が昨年そのままの形で実現している。皆さんもぜひこのウワサを信じて自分の夢をこの紙上にちりばめてください。待ってます。(△○□)

せいぶ館通信・第3号/1997年(平成9年)7月

せいぶ館昇級・昇段審査要領および合気道の稽古法
■受験資格
5級:入会後30日以上稽古した者
4級:5級取得後40日以上稽古した者
3級:4級取得後50日以上稽古した者
2級:3級取得後60日以上稽古した者
1級:2級取得後70日以上稽古した者
初段:1級取得後80日以上稽古し、かつ15歳以上の者
二段:初段取得後2年以上経過し、かつ200日以上稽古した者
三段:2段取得後3年以上経過し、かつ300日以上稽古した者
※受験者はそれまでの会費を全納のこと(合格者はせいぶ館通信に掲載する原稿を提出してください)

■審査内容
始めて受ける者:片手取り体の転換、片手取り一教、片手取り四方投げ、片手取り入身投げ、坐技呼吸法
有級受験者 :徒手技法(一教、二教、三教、四教、入身投げ、四方投げ、小手返し、回転投げ、天地投げ、腰投げ、呼吸投げ)指定技、坐技呼吸法
初段受験者 :徒手技法(一教〜五教・入身投げ・四方投げ・小手返し・回転投げ・天地投げ・腰投げ・呼吸投げを立技・坐技・半身半立技にて面・肩・胸・肘・手・後で行う)指定技と自由技
二段受験者 :徒手技法指定技、自由技に短刀取りと二人掛けを加える
三段受験者 :徒手技法指定技、自由技に太刀取りと多人数掛けを加える

■合気道の技および稽古法
稽古の特徴:二人で交互に技を掛け合う、表(入身)技・裏(転換)技を左右で行う
立技のほかに坐技、半身半立技がある
攻撃の種類:片手取り片手持ち(相半身・逆半身〈綾取り〉)、片手取り両手持ち、両手取り両手持ち胸取り、肩取り、後襟取り、後両肩取り、後両肘取り、後両手首取り、後ろ首絞め、正面打ち・横面打ち、突き(面・胸)、武器(短刀・太刀・杖)
稽古の順序:準備運動(柔軟運動)、受身、体捌き(入身、転換、膝行)技の稽古(一教、二教、三教、四教、五教、入身投げ、四方投げ、小手返し、回転投げ、天地投げ、腰投げ、呼吸投げ、坐技呼吸法)整理運動(背伸運動、柔軟運動)


■稽古のヒント(「合気道」―光和堂より)
〇ある武道家の、極意技とは如何なるものか見せてほしい、という要望に対して植芝盛平開祖はこう述べているー
「君は何を言っているのか。日々極意の技をやっているではないか。今日教えた入身の投げ技などは、極意中の極意だ。奇想天外な極意などというものは、武道においてはあり得ないよ」 極意は基本技法の中に深く蔵せられている。
〇「合気道は相手の力を全面的に利用してしまうんです。だから相手に力があればあるほどこっちは楽なんですよ。合気道では絶対に攻めない。攻めるということは、その精神がすでに負けることを意味するんです。徹底した無抵抗主義で相手に逆らわない。だから合気道には相手がない。相手があっても、それは自分と一体となっていて自在に動かせる相手なのです。合気は絶対に相手に逆らわない。突いてきても、切ってきても要するに一本の線であり、点であるからそれをよければいい」
〇「人を中心にして円を描く。この円内がその人の力の及ぶ範囲なんです。いくら力のある人でもこの円の外には力が行かない。無力なんです。だから相手をこの円の外において押さえれば、人差し指でも小指ででも押さえることがで きる。相手はすでに無力になっているのですから」
〇「合気道には形もなければ様式もない。自然の動き、これこそ合気道の動きである」
合気道の技法はまったく休むことのない異なった気形の連続であり、ひとつひとつを区切って取り出すことはできないほどつながっている。
〇合気道は一瞬触れた時にはすでに勝敗決定の時である。