平成9年9月度 昇級・昇段おめでとう!
四段:小畑盛義 三段:中尾明子、福長 章
2級:徳山浩明 5級:林芙美、片山香、湯浅、篠原、、岡本博文


この1年      中尾眞吾・支部長・五段

「せいぶ館」となって1年。希望に燃えたスタートだった。市場の近くの狭い道場から、広くて明るい丘の上の道場への引っ越し。神戸の合気道は洋々と開けていく‥‥と思っていた。
奇しくも、あの1月17日―震災2年目の日、小坂さんが自転車に乗っていて、車にはねられ、半月板のほとんどを取り除かなあかんほどの重傷。合気道への復帰は絶望的! 神戸支部道場には大痛手の事件だ。にっくき不注意運転手! 気ィ付けてヨ。
また、榎本さんにもやきもきしたものだった。初心者を対象に「レディス・コース」の責任者となり2年、熱意溢れる教え方で「豪」の男どもにも人気を得、あの道場開きでも司会の大役をつつがなく果たした。そのエノちゃんが新道場に現われない。バッタリと稽古に来ない。腰が痛いとは言っていたが‥‥。
土曜日の朝や「レディス」に出てきて、のんびり転がっていた為石さんも春先に結婚。
先輩連中の足が遠のく中、新しく入門する人は思いの外多い。そういう人達の中から、将来有望な人が出てきている。
先日の岡山・久世の遠藤先生の講習会では広島、米子の方からも多くの人が参集し、ええ汗を流すことが出来た‥‥。稽古の時、ちいちゃいコが「前」で師範の受けをとっている。まだまだ、の感じやけど、上手。どんどんどんどん、飛んでいる。大したもんやな、と思って見ていると、それは「芙美ちゃん」だ。「神戸」のふみチャンだ! 入門して半年、入門当初から熱心に通っていたコだ。先の昇級試験の時もよく出来ていたし、楽しみなコではあったが、他所の町で先生に「前」に呼ばれて「受け」をとるほど、とはネ。彼女の努力の成果ではあるのだけれど、私の頬がゆるんだのは言うまでもない。「せいぶ館の先生役スタッフの適切な指導の賜物」と私。すかさず先生、「それを言ッチャオシマイヨ」「コーベはそれを言うから‥‥」
重量級になって山下君が戻ってきた。子育て真っ最中の越っちゃんも「肩凝り防止」の為にカムバック。小坂さんもようやく試運転を始めている。榎本さんは愛知、小牧の稽古に出掛けた。完全返り咲きだ。バンザーイ!
優秀な「せいぶ館教授役陣」も、各自担当時間の指導方法に悩みながら、まあまあ快調。「新」「中」「古」が揃い組で「神戸支部道場 開設40周年」へ向けて「全開」だ。陽気に、しなやかに、爽やかに‥‥。合気道天国を!


横田先生へ      小畑盛義・四段

横田先生、ご無沙汰いたしております。如何お過ごしでしょうか。
早速ですが、ご報告申し上げることがあります。この度、合気道四段に昇段いたしました。色々ご指導有難うございました。横田先生の恐怖の四方投げが早くマスター出来るようガンバリます。
石井町の精武館は、あの阪神大震災で被災し閉鎖されましたが、昨年12月には下山手通に「新生・せいぶ館」として甦りました。
旧精武館では、道場の日当たりの良い縁側中央に横田先生が座られ、横には浜崎先生、打越さん、中尾さん、佐治さん達がいわゆる男の教室、道場では、村上さんが若い人を相手に稽古、和田さんは一教と腰投げの研究、佐々木さんは黙々と四股を踏む、等々‥‥。稽古開始前の一時を思い思いに過ごしている所へ、私が半年また1年ぶりにひょっこり顔を見せても、暖かく迎え入れて下さいました。私が今まで続けて来られたのも横田先生始め皆様のお陰と感謝致しております。
今では横田先生を知らない新しい人が増えて来ましたが、和気藹々とした自由な雰囲気は今も変わっていません。今後ともせいぶ館と私達を見守っていて下さい。
それでは風邪など召しませぬ様に、またお便りします。

合掌

追伸 新生せいぶ館と共にスタートした杖道部も軌道に乗り始めました。11月2日に行われた昇段昇級審査会では、初段には山下君、1級には榎本さん、小坂さん、中尾明子さん、浜本君が合格致しました。

奥さんどうしたの−     中尾明子・三段

「あー眠たいなー」「寒いなー」とずるして朝稽古を2日も休むと、必ずその晩に「奥さん、どうしたのー?」と尋ねてくる人があります。まるで子供の時のように、「明ちゃん、一緒に遊ぼうよ」って感じで‥‥。
また土曜日は杖の稽古の為、家の事はそっちのけで飛び出します。そして日曜日は日曜日で、今日は誰が来てるのかなー、あの子らが来るかしら、あの新しい人はどうかなー、あの先輩は‥‥等々、多くの人々との出会いを楽しみに道場へ向かいます。
そんなあれこれの想いとつながりがいつの間にか、5年で千回という稽古回数になっていました。
そしてこの度、三段を頂きました。有難うございます。バンザーイ!(私の若い時しか知らない人達にとっては、絶対に信じられないデキゴトです)
先週も5月のカナダ旅行で知り合ったジョアンナさんが、2泊され3回稽古をして、関空からシアトルへ帰っていかれました。言葉がうまく通じなくてもお友達になれる不思議な合気道。
今日はよっちゃんが九州より里帰り(3月に結婚)をし、稽古と店番をして、機嫌良く帰って行きました。また神戸・せいぶ館は、遠藤師範をお迎えしての初合宿でした。
今年62歳になられた福長さんがついこの間迄は、「あと10回花見ができたらいいですなー。年130回以上稽古をしてね」と言っておられたのに、最近「あと15年、いや20年はやりたいですなー。ワッハッハハハー‥‥」と豪快に話されています。
おっとー、私もうかうかしておれなくなってきました。だって、かの人こそが例の「奥さん、どうしたのー」‥‥。

三味の生活      福長 章・三段

歌手・中島みゆきはその歌「傾斜」の中で、「年をとるのは素敵なことです。そうじゃないですか。忘れっぽいのは素敵なことです。そうじゃないですか」と歌っている。
還暦を2歳もオーバーした今、この歌は果たして真実を歌っているのであろうか。自分がどう生きてゆけばよいかを思案し始めた青春期以降を今振り返ると、まさに挫折につぐ挫折であったと思う。
数学の問題が1題解けないとか、英語の単語を一つ忘れていた等という些細なことで、学校も学部も入学年度も変わった。恋が成就しなくて悲嘆にくれた事もあった。上場企業になかなか入れてもらえず、自分の非力を思い知らされた。入社後は同期生との競争に血道を上げ、遅れをとって何度も悔し涙にくれた。結婚相手もなかなか決まらなかった。マイホームの入手ももたついた。有力な上司についに理解してもらえなかった。合気道においてもこれまで円滑に進まなかった。
年をとる事が素敵なことであるとすれば、今は挫折のしようのない所に来てしまった事をさすのか、あるいは、人をうらやむ心をなくしてしまった事をさすのだろうか。
唯一つ、これらの挫折に完全に打ちのめされない為に、いつの頃からか、何に対しても「三昧」になる事が必要と考え始めたようである。
朝稽古に参加させていただいて2年近くになる。暑さも寒さも関係がない。昨年、積雪で単車が走らず押して行った日も、すでに仲間が来ておられ驚いた。この例外のない継続に喜びがある。
年をとることが素敵なことと思われる心と体を維持し、日本中どこに行っても通用する三段となる為にまた努力を続け、中尾先生、打越先生、藤井先生に負けない素敵な顔にそのうちになりたいもの、と想う昨今である。

初段を目標に 楽しく稽古を      徳山浩明・2級

この度は、2級に昇級させていただきありがとうございました。
平成5年の9月に旧第二道場に入会してからの4年間、病気で二度も入院したりして、特にこの1年半は、全く稽古しておりませんでした。もう合気道もやめようと思っていました。決して合気道が嫌いになったのではなく、道場から足が遠のいてしまったので、何となく行きにくかっただけでした。子供の頃からスポーツや武道が好きだったので、また何か違う事をやろうと思っていました。
そう考えていた昨年の11月の終わり頃、ちょうど2度目の入院をしていた時、見舞いに来た父が、私宛ての封筒を一通持っていました。中尾先生からの「せいぶ館通信」でした。
病室で弱気になっていただけに、皆さんの文を何度も読み返し、懐かしく思いました。そして何より、中尾先生が私のことを気にかけて「せいぶ館通信」を送って下さったことが嬉しく、また合気道を始めるきっかけとなりました。そして、今年7月、せいぶ館に再入会し稽古に通っております。
これからは、まず初段取得を目標に、皆さんと楽しく稽古を続けていこうと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

美しい動きに魅せられて      林 芙美・5級

「愛に通じる合気道で心身鍛練に励もう」と平成9年5月28日水曜日、せいぶ館にて初めての稽古。打越先生、先輩方の美しい動きに感動。私には無理だと落胆。しかしながら、稽古後の先輩方がされた爽快な笑顔を見逃すことができなかった私は合気道を続けたいと思う。ここで続けるということは先輩方に迷惑をかけることだ‥‥と葛藤。先輩の「そんなことはない」という一言で「合気道を極めるぞ」と決心、というのは嘘で、とりあえず1ヶ月間続けてみようと決めた。
毎回の稽古で先生方、先輩方の人柄に感激。5月31日土曜日の午後稽古の後、中尾支部長に初めてお目にかかる。
生まれて初めての「合気道好き?」との質問に、私は即座に「はい」と元気よく答えていた。
そう、合気道歴4日目にして、私はすでに合気道とせいぶ館とせいぶ館の皆様の魅力の擒になっていた。もちろん今も擒のままだ。
これからの稽古の目標は、感覚を鋭敏に保つこと。
先生方、先輩方が合気道に対する心得が皆無なまま入門させて頂いた私に親切に根気よくご指導くださったお陰で、今回の昇級試験、5級を賜ることができました。深くお礼申し上げます。
今後とも稽古に励みますので、ご指導のほど宜しくお願い致します。

昇級試験を受けて      湯浅恵愛 5級

せいぶ館で、初めて昇級試験を受けた。前の道場と雰囲気もやり方も全然ちがっていてとてもドキドキした。
私より先に名前を呼ばれた人のとか、後からの人とかのを見てたら、本当に自分はこの人達と同じ5級なんだろうか? とすごくすごく思ってしまった。全然自分よりも上手な人達ばっかりだし、一つ一つの動きがカッコヨク見えた。
それに比べて私は、5級に受かったことがウソのように思える。試験の間、名前を呼ばれた時からビクついてたし、足がめっちゃガクガクで手とかも震えてて、相手にその震動が伝わるんとちゃうか? ってぐらいビクついていた。
全部の技をやり終わり、やっと自分の出番が終わってもまだドキドキしていた。でも、「上手だったよ」って言われた時は、何が何だかよくわからなかったけれど、すごくうれしくてうれしくて、少し自分に自信がついた。自信がついただけでもうれしかったのに、昇級試験の結果、5級に合格することができた。めちゃくちゃ夢見てるみたいだったけど、夢じゃなくて本当でよかった。
今回5級を合格したことで、また新しい目標を持つことができる。次はまた、その新しい目標を達成できるようにがんばっていきたいと思う。


アルバイトと合気道       片山 香・5級

自分が何をしたのか、よく覚えていません。ボーゼンとしたまま始めて、オロオロしっ放しで終わったといった感じがします‥‥。途中何度も「しまったーッ!!」と思ったのは、どこか脳髄の奥の方に残っているのですが‥‥。
せいぶ館で稽古を始めてから半年経った日曜日。そんなこんなで、なんとか無級を脱することができました。(が、何となく申し訳ないような気持ちはぬぐえません‥‥。)
大学2年生になってから、1週間のスケジュールが決まるようになりました。7日の内の3日は、学習塾のアルバイトで占められているのですが、実はこのアルバイトと合気道は、殆ど同時にスタートさせたのです。
2月の22日にせいぶ館へ見学に来ましたが、その前日、このアルバイトの試験を受けたのです。テストの点数は恥ずかしくてここでは言えませんが、とにかく担当の先生の無謀だとも思える気まぐれのおかげで、私は今、毎月給与明細をもらえるようになっています。
採用、と聞いた時は「えー? 本当に私を先生にしていいのー? やめといた方がいいと思うけどなー」と思いましたが、本当にダメだと呆れられたら向こうからヤメロと言ってくるだろう、それまでは稼がせてもらっちゃえ、と考えて始めたアルバイトです。
今から思えば、無謀なのは私自身も一緒で、中学お受験用の算数に私はかなり苦しむことになってしまいました。心の中でパニックを起こしつつ、顔だけは笑顔で小学生の質問を何とか片付け、家では自分も小学生用のテキストを予習する。そのくせ夏休みは連日鬼のように宿題を出し、小学生の「えーッ!」「ひどいわー!」との声にケケケと笑って返す。
こんな私ですが、何とか2度の人員整理?にも生き残らせてもらい、もう少しは続けることが出来そうです。いつまで残れるかは分かりませんが‥‥(弱気)、小学生と過ごす時間も割と楽しいし、できるだけ頑張るつもりです。(時々やめたくなるけど‥‥)
以上、どうでもいいような事を書いてきましたが、合気道の方ももっと練習に来ようと反省させられました。アドバイスを下さった先生方、そして試験当日相手をして下さった沢辺さん、本当にどうも有難うございました。これからも図々しく押し掛けていくと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

初めての昇級試験      篠原伯佳 5級


この度は、5級に昇級させていただいてありがとうございます。
昇級試験当日は、あまりにも緊張してしまって、試験中ずっとガチガチに力が入ってしまい、思うように身体が動きませんでした。後日、昇級試験のビデオを拝見しました所、同じ5級の試験を受けられていた女性の方達のうまさに感心し、自分のへたさに落胆してしまいました。
それから私は、同じ級を受験する人よりも、うまく出来る様になろうと思い、自分なりに一生懸命稽古に励んでいます。
入門して1年になりますが、道場に通うことが今、一番の生活のはりになっています。合気道と、この道場の皆さんに出合えたことを感謝しています。今後とも、ご指導の程よろしくお願い致します。

[編集後記]
本号で精武館通信創刊後やっとこさ通算第10号にたどり着きました。この手の新聞は何回か出したらそのうち消えていくものだといわれ、自分でもそう思っていましたが、ここまで続いたのは何かしらこの新聞も役目を果たしてきたからかもしれません。来年度から道場運営委員会といったものもできるそうなので、幅広い人々の目でこの支部報も見直されてより魅力的なものとなり、末長く刊行されることを願っています。(△○↓)

せいぶ館通信・第4号 1997年12月

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