平成10年3月度 昇級・昇段おめでとう!


二段:山下裕士 榎本久美 河本一郎 初段:ジョー・ソニド アダムス良江 田中利幸
1級:福永吉伸 大倉美奈子 2級:有本ひろみ 3級:前田裕昭 林芙美
4級:衛藤譲二 柏木健志 西川渉
5級:今井ももこ 宮野真紀 橋本博文 吉田寿教 西澤荘平 ランディ・ボーリング 7級:西澤依里子


一冊の本との出会い      濱崎正司・六段・道場長

とある本屋に入り、一冊の本を見出した。『合気道』という名の本であった。それは今から40年前のことである。高校時代は柔道をしていたのだが、写真を見て解説を読んでみると、面白そうな内容であった。その一節に、子供でも可能であるとあった。
その日は立ち読みをして帰ったが、ある人から以前、開祖がN電鉄の全国大会出場の柔道選手を相手に5人掛けで全員を重ねて抑えた、と聞いたことがあったのを思い出してますます興味が湧いてきた。
再びその本屋へ行って神戸支部道場の住所を知り、訪ねたのが昭和33(1958)年8月頃であった。水曜・土曜は生田警察署の道場を借りて稽古をしていたが、1日目は見学をして帰った。その次の稽古で、受身ができるかどうか聞かれ、出来ると答えると、多分井上(文)さんに体の転換、四方投げを教えてもらった。そして横田先生と出会い、多くの合気道の友を得た。
この頃の稽古は今と異なり、力を入れて息が切れるまで練習をした。変な受けをすれば頭を打ち、手は捻じられ、帰宅すると手足がひどく疲労した。
そのような稽古で何年か経過した後、本部道場より現道主・植芝吉祥丸先生、藤平先生、多田先生等が年に何回か来神されてご指導を願える機会に恵まれた。この頃から合気道は「力」ではなく、「気」の強弱によることが少し解かりかけた。
この頃の忘れられない経験は、昭和35年の名古屋支部道場の演武会に神戸支部が参加した際、演武で翁先生に扇子で抑えられたことである。その感触は今もなお忘れることが出来ない。
その後、神戸支部には本部道場の遠藤師範にお越し頂くことになり、現在まで二十有余年に亘りご指導を賜っている。
多くの道友が転勤などで神戸を去っていく中で、現在まで稽古を続けることが出来たが、思い返せば40年が1日の如く感じられる。多くの師範の顔、稽古を共にした道友の顔が走馬灯のように浮かんでは消えていく。
その中で一番迷惑を掛けたのは昭和41年に結婚した妻であり、子供たちである。これは死ぬまで迷惑を掛けることになるかなと常に反省しているが、日曜ともなれば稽古着を持って家を出るのが日課となっている。
また道場の皆様には、もう少し体と気力の続く限り、老人が一人好きなことを続けることを、見守っていただけるようにお願いしたいと思います。
最後になりましたが、今回昇級・昇段された皆様、おめでとうございます。今回得られたその級・段位は今から始まるということを忘れず稽古に励んでください。

「91分の34」   中尾真吾・五段・支部長


電話が鳴る。「合気道を始めたいのですが‥‥」「どこにあるか教えてくれますか?」「何曜日の何時からあるのですか?」「どんな先生が教えていますか?」「どんなことをするんですか?」「入会費はなんぼ?」「実戦空手としたら合気道は勝かてますか?」「ハイ、負けます‥‥」「合気道をしたら礼儀正しくなれますか?」「まあ無理でしょう。躾は家でして下さい。各クラスの責任者は人格者でも何でもない普通の、ちょっとだけ合気道が好きなだけの人です‥‥」「学校でいじめられて困っていますが、合気道をすればいじめられへん様になりますか?」「まあ身体が丈夫になりますから、いじめられへん様になるんとチャイますか? 色々でしょうけど‥‥」“I'd like to play Aikido..." 等々、1週間に何回かこの様な電話がある。問い合わせの人にええ印象を持ってもらい、ちょっとでも入門する人が増える様にと、特別にええ声を出して答えている。長い電話になると30分位‥‥も。津山合気会から贈られたファックスが大活躍してくれてはいるが、ホンマ大変なのです。
その人達の何分の一かの人が見学に来てくれる。そしてその人達の何人かが入門の手続きをし、そして何ヶ月かがたつと‥‥。思ったよりシンドイ。えらい。痛い。オモシロナイ。1年が過ぎる‥‥。何人の人が残ってくれるのだろうか? そして何人の人が黒帯になり、二段になり‥‥。こんなにオモロイ合気道なんやけどなァ‥‥。
『「震災前」の平成6年1月1日現在の名簿』
精武館会員61名、第二道場会員30名
―合計91名。
子供クラス30名。
4年を経て、稽古継続中の会員、34名! 子供クラス出身者は西澤兄妹のみ‥‥。新しく「せいぶ館」になっての入門者総数165名。
さてさて何人の人が一生の友として、合気道と関わりを持つのだろうか。


私を変えた中尾夫妻   祖父江 満・明倫塾道場長(名古屋)

昨年5月、山口先生のお墓参りを兼ねて寄った全日本合気道演武大会は、山口先生ご存命の時代に比べて全体に力技で無理な演武が多くなったように感じ寂しく思いました。
たまたま一緒にいた道場の方に「欠員が出来たので一緒に演武しないかと」と誘われるままに出場した所、紘武館の松村先生と一緒に見学していた中尾さんに後から「特に奇麗に目立つ演武者が居るので誰かと思ったら祖父江さんだった」と言われ、山口先生のご加護があったのか同じように寂しく感じられる方がいたのだと心強く思いました。
それが明倫塾として独立し、一人でも多くの仲間と「無理なく、楽しくできる合気道」をやっていきたいと思う契機になりました。
山口先生からお教えいただいた「術は難しいことを行うのではない、誰でも出来る易しいことを真剣に行うこと」「業(わざ)は精妙不思議を行うことではない、あまりに当然自然だから却って不思議に見えたりする」との言葉を「楽しく」の一言に込め、明倫塾の標語としました。毎月入ってくれる初心者には「合気道とは、自分の中心と相手の中心を結んだ線を楽しく進めばそれで全て」と説明しています。
11月24日には遠藤先生始め多数の皆様にお力添えいただき、「楽しく」をテーマに明倫塾第1回合気道講習会を開くことができました。名古屋では山口先生や遠藤先生の稽古を受けた方が殆どいなかったため、参加者から「再度、遠藤師範の講習会を」との声があり、第2回を現在計画中です。
平成7年11月23日、名古屋での山口先生最後のご指導時に、明子夫人から「相手の力を頂くのですね?」との言葉があり、これが私の合気道に対する考え方を変える事となりました。
それまで、どんなに山口先生の真似をして相手を吸い込もうとしても不可能だったことが、相手に任せていれば勝手に相手が入ってきてくれるし、正面打第一教でも相手の手を上げよう押さえようなどと思わなければ、相手の力で自分の手は勝手に上がり、上がりきれば下りるしかないことに気づきました。すべての人に当てはまるとは思いませんが、少なくとも自分には一番合った方法のようで暫くこの研究を続けていくつもりです。
十代、二十代の鼻血の出る頃は岩田、千葉、金井、市橋、渡辺、斉藤、藤平各師範の手加減の無い豪快な指導を、力技に疑問と限界を感じた三十代には大澤喜三郎師範、三十代後半から五十代には毎月のように山口先生直々に、そして現在は遠藤先生のご指導を頂けるといった、師に恵まれた幸せな合気道人生に感謝すると共に、頂いたものを少しでもお返しできるように努力しなければいけない年代になったのかと思っています。
今はまだ何も出来ませんが、少なくともこの気持ちで頑張っていこうと思っています。せいぶ館の皆様、ご鞭撻の程宜しくお願い致します。(1997年12月記)

二段をいただいて   山下裕士・二段

この度二段を頂くことができました。皆様のおかげです。本当に有り難うございました。
姫路から通い続けて8年目。我ながらよく続いたものだと思いますが、こと合気道に関していえば、あっという間だったような気もします。
私が最初にお世話になったのは、精武館第二道場の土曜日朝の時間でした。その入門当初に、強い印象を受けた女性陣のうちの何人かについて書いてみようと思います。
その頃の人といえばやはり小坂さんと明子さん。三十歳代後半で体が動かなくなった為何かやらねばと始めた私の前に、このお二人が大きく立ちはだかりました。一見小柄な普通の女性(ただ、当時小坂さんは鉄人と呼ばれていました)なのに、いくら頑張っても倒され、投げられ、固められる。取りの時にはよく「腕の力を抜いて」と注意を受けましたが全然出来ず、逆にひっくり返される。これが技というものかと思い知らされました。
山部さんはまだ学生で、柔らかい体の持ち主。上背があるから技が掛けやすいかな、とちょっと思ってはみたけれど、暖簾に腕押し、柳に風。やはり固い腕ではだめでした。
榎本さんは、私より数ヶ月後に入門のいわば同級生。合気道を続けるのに同じくらいの人がいてくれて有り難かったです。もっともこの同級生も上手で、同じ様な所で悩んでいるのをみて安心していたら、すぐにこなせる様になってしまわれるのであせりました。
腕相撲ではなんとかなりそうなのに、合気道では全くかなわない。この驚きがあったから今まで続けてこれたともいえます。私にとっては幸せ(?)なスタートでした。
ここ最近は、先生方の技にはまだまだ手が届かないことを思いしらされ、若い人を見てはそのパワーと上達の早さを羨ましく思う日々ですが、初心に返り、あの“驚き”を思いだして、楽しんでやっていこうと思います。これからも宜しくお願いします。

合気道と共に成長したい   榎本久美・二段

二段に昇段させていただきありがとうございました。ほっと一息。
初段のときは初心者の方々と稽古するとき、「力で引っ張らないで」「力で押さえつけずに」と口頭で説明するものの実力が伴わないので、私も一緒になって力まかせになってしまい情けない思いばかりでした。
最近、少しは力まかせではない動きがあることを伝えられたかなと感じることがあり、自分自身、成長しているような気がして、そして、伝えられたことが何よりうれしく感じています。
これからも合気道を通して多くの人から色々な事を学び、自分に正直でありたいと思っています。よろしくお願いいたします。


アンコールワットマラソン記    河本一郎・二段

アンコールワットの正門からの周回コース、ハーフマラソンでした。
アンコールワットの堀を左に見ながら、気温33度と湿度80〜90%の快適な気候の中、最後尾を走っていました。現地の人の「なんでわざわざ走っているのだろう??」という視線を力に遺跡の中を走っていました。すると前日観光の時に出会った物売りの娘が現れて「お金を持ってからまた来て」と可愛い顔して言ってくれました。
足が軽くなり始めた10km近く、ちょうど周囲に遺跡がなくなった頃、前から後ろから車が行き交い、左へ寄ったり右に寄ったりを繰り返して車の中の人に手を振り返していました。
そして疲れてきた13kmぐらいで、子供が走っている人がおもしろかったのか一緒に走ろうとしているので、少し大げさに走るまねをしたのが失敗でした、そのときの反応が少し快感で、それ以降事ある毎にしてしまったのでした。暑さも忘れて‥‥。
顔がゆでだこのように真っ赤になってきた頃、ボールを持った現地の人がなにやら水をかけてやるから頭を出せ、といっている様子で近づいてきました。のぞくと何か浮いている白濁水がボールの中に見えました。懸命の遠慮も通じずにとうとうかけられました。その感触はまるで牛乳をかぶったような、後に残る不思議でかつ嫌な感じでした。
終盤戦、アンコールトレの中を自転車に乗った兄妹と共に走っていました。その男の子はとてもうれしそうにこちらを向いて等距離を保って先導してくれています。心の安らぐひとときでした。只、体中が渇いていることを除いては‥‥。そして無情にも無情にも回収車からここに来るなとでも言いたげな手を振る係員。
本当の最後にUSAから来たという年輩の男性と走っていました。給水所にはもう水はありません。その男の人は友達に水をもらっていますが、くれという単語も力も残っていません。ただゴールとつぶやきながら‥‥。
そしてやっとGOALにたどり着きました。するとそこには、給水所に何故置かない、と言いたくなる程の水。これこそメーテルリンクの青い鳥で言いたかったことに違いない。そんなことを思ったマラソンでした。
今年もあるので興味のある方は参加してください。


日常合気道    ジョー・ソニード(Jo Sonido)・初段

合気道を始めてから7年。やっと初段を頂いたのは、せいぶ館の皆様のおかげです。本当にどうも有難うごいました。
外国人として日本文化や価値観に興味を深く持ち、来日した時に色々なことを経験したいと思いました。まず、アメリカで始めた合気道を続けたかった。それから茶道にも入門しました。勿論仕事も忙しくて、時期によっては稽古があんまり出来なくなる時もありました。いつも忙しいジョーと呼ばれるようになってしまいました。
私は、忙しいと言いながら、確かにある時やる気がなくなったこともありました。しかし、合気道の原則が大好きで、毎日色々な稽古を出来るだけしました。
道場外の稽古といいますと一体どんなものでしょうか。受身です。アメリカの道場ルールとしては、投げ技を習う前に受身を上手にするという順番がありました。安全な受身が取り手の資格の一つでした。でも、受身は体の動きだけではなしに、心や考え方にも応用出来ます。
三年半、教育委員会で外国人英語教師と日本人の教職員の架け橋として仕事を続けてきました。ですから、そういった心と考えの受身をよく練習しました。道場でする受身は仕事でするそれより比較的に簡単だと思いました。
初段を取ってから、もっと良い受けになりたいと思うようになりました。何回失敗しても、稽古で相手の気と合わせて、その刺激を意識して、それから自分の技を返せるように稽古をしていきたい。
もし合わない人と接触するとか、大勢の人にかかわる仕事をするときは、必ず受身が上手になるように心掛けましょう。


いまはこんな気持ちで   アダムス良江・初段

ちょっと大げさかもしれませんが、今回初段をいただいたことは、私にとってこれまで経験してきた入学・卒業・就職・結婚・出産と同様ひとつの節目、新たなスタートです。 もともと怠け者の私は、こんなに長く合気道を続けられるとは思っていなかったのですが、道場の居心地の良さ、とりまく人々の良さ、あとから始めた人に先を越される悔しさ、そしてアダムスにお尻を叩かれ、何とかここまで来られました。そして少し自信もつきました。
新しいスタートからいきなりまた産休ですが、合気道人生はまだまだ先が長いので、これもほんのつかの間でしょうか?
これからの目標は、自分の目指す合気道を見つけることと、世の中が物騒なので本当に使える合気道(できれば子供を守れるくらい)を身につけることです。
今、新しい黒帯と袴をいただいて最高にうれしく、早く着たいけどしばらくガマン!! ありがとうございました。

おまかせ    田中利幸・初段

自分の事は自分でやる、自分で決める。と思っていても、どうしようもなく行き詰まる時がある。身動きがとれづ、選択肢も見つからない事がある。こうなると、どうしようもない。できない事をしようとしても無理。できる事しかできないのが理。今できる事をするしかない。しかし、それすら、今何ができるのかすら分からない、そんな時。やるだけやって、あがきまくっても駄目な、そんな時。
覚悟を決めて、見えも格好も、体も命も全て捨てて、これはもう、おまかせするしかない。捨て身だ。「この命くれてやる。煮るなり焼くなりして下さい。後は野となれ山となれ」といった気分。これはきっと、誰にだってできること、勇気を出してやってみる。駄目なんだったらやってみる。自分ひとつ丸ごと投げ出すのだから、これが意外と、結構強いはず。そして何より、楽になるだろう。
一度の人生、守る為に思い悩むより、今、目の前に在るものに、常に捨身で挑みたい。いつか尽きる命、如何に使いきるか。命は道具だ。何の為の道具か? 使ってみれば分かる。使い方? まかせておけば、捨身でいれば、自ずと分かる。そして、人生の、人がこの世に生まれた理由が、目的が見えてくる。
‥‥そんなことを考えているこの僕は、周囲を恐れ、未来を案じ、まだまだ捨てきることのできない未熟で臆病な甘えん坊だ。でも今に見てろ。

1級を頂いて    大倉美奈子・1級

3月8日の昇級試験の日、外はうららかなとても気持ちのいい日でした。しかし、一歩せいぶ館の中に足を踏み入れると、熱気ムンムン、みんな眞剣そのもの、いつもの穏やかーな雰囲気とは少し違う空気が流れていました。
さて、この日の私、眞剣というよりも先におびえの方が来ていました。なぜなら、わずか2週間前に稽古を再開したばかりだから! 実質十回ほどしか事前に稽古しなかった者にとって、もう恐怖に近いものがありました。しかも私用のため、いの一番! めまいがしました。
しかし時間は無情に流れ、さぁ本番と相成りました。頭の中で二教の時はこう、三教はこう、とのシミュレーションも最早吹っ飛び、成るように成るさの心境‥‥。ところが、思いのほか順調に進み、緊張しつつも、「おっ、いけるかな?」と思っていましたが、そうは問屋(濱崎先生)がおろさなかったのです‥‥。
どきどきしながら次の指示を待っている耳に飛び込んできた言葉は、
「はい、じゃあねぇ、五教!」
ええっ!! でした。例の表に載っている技以外、全然考えていなかった私にとって、まさに寝耳に水状態。もう冷や汗たらたら、頭はパニック‥‥。それでも直前に田中君に教えてもらった通りにやったものの、私の狼狽ぶりにみんなから笑いが‥‥はずかしい!! 濱崎先生の「固めてみて下さい」も分からず、オロオロしたものの、なんとか無事にやり通すことができました。
そして後日、2級ではなく1級を頂けたと聞いて、もうびっくりするやら嬉しいやら。次は初段目指して頑張りたいと思います。
ありがとうございました。


せいぶ館道場の人々    前田裕昭・3級

若さと才能に加え、その情熱に羨望すら感じさせる林さん、田中さん。中年から始めた者の目標であると同時に憧れでもある山下さん、澤邊さん、増田さん。五十歳過ぎて合気道を始めるというだけでもすごいと思えるのに、若者に混じって実に楽しそうに稽古される八尾さん。日本語で一所懸命に技の要点を説いてくれるアダムスさん。一つ一つの稽古の要点を実に明解に説いてもらえる濱本さん、池内さん。いつか手加減無しで、特にこの人達に褒められてみたい佐伯さん、山崎さん。なぜ私みたいな者を杖の稽古に誘われたのか未だに謎、合気道の稽古でも最も手を取っていただいている小畑さん。青春の体形は失せたが、鍛えの十分さを感じさずにはおかない同窓の山下さん。受けを取ってもらったら自分の技が数段上達した様な錯覚に陥ってしまう、私が最も教えを受けている一人、松平さん。「すぐ効く稽古ばっかりしてもあかん」と稽古に取り組む基本姿勢や目指すべき姿を諭して頂いた打越さん。今年はよく顔を見せて頂けるのが嬉しい濱崎さん。時折神戸に来られて教えて頂くのが楽しみな藤井さん。この他、佐治さん、和田さん、明子さん、古殿さん、榎本さん、野田さん等、一人一人あげさせてもらうときりがないが、こんな人達に囲まれたおかげで、人一倍物覚えの悪い私が今回3級を頂けました。
深く感謝申し上げると共に、皆さん、まるで合気道が生活の一部の様に自然に集まって稽古される、この雰囲気こそ40年の神戸の伝統なのかとなと感じています。「毎日ご飯を食べるみたいに、呼吸するように合気道がしたい」と中尾さんが時折口にされる。
勿論、技の上達を望まないではありません。しかし、そんなことよりこんな境地を目指したい。技の巧拙、人の新旧を問わず、自然に対応して稽古し合える、今後もそうした神戸支部の良い雰囲気を保っていける一人であればと願っています。


女子大生活と合気道    林芙美・3級

この度、皆様のおかげで3級を賜ることをお許し頂き、心より感謝すると共に大変嬉しく思っております。飛び級だ! と喜んでいたのですが、和子お姉様の撮って下さったビデオを拝見してビックリしました。まだまだまだの、私の合気道を少しずつ深めていければ幸いです。どうぞこれからも宜しくお願い致します。
新しい春が訪れ、私は女子大生になりました。学生の本業は遊びです。‥‥ヨネ? 合気道、杖道、書道、パソコン、旅、中国語、朝鮮語、英語、フランス語、温泉、テニス、料理、もちろん私の専攻である人間科学についての諸々、そして皆様の溜り場?でのバイト‥‥。私の遊びは増え続けそうです。こんな調子でとても落ち着きのない私なので、この4年間でせめてもう少し自らをコントロールできる人になりたいと思います。
後一週間でお稽古ができる。 ヤッタ−!!

合気道に感謝     西川渉・4級

小生が合気道を始めたのは1995年3月で、丸3年になります。
この度4級に昇級しました。なかなか昇級しないのは、本人の努力・精進の不足であることは言うまでもありません。何しろ週末に1回通うのがやっと。それも日曜日の2時間の稽古は体にこたえます。午後はきまって昼寝となります。
でもこの年齢で、辞めずによく続いています。大病して一時休みましたが復活し、若い人に混じってよくついていっています。自分でも不思議に思うほど稽古に通うのを楽しみにしています。その理由は稽古後の体の反応が心地よいからでしょう。手先、足先のジーンとした感覚、楽で深い呼吸は快感を呼び、1週間の神経の疲れを癒してくれているように思います。
合気道を始める前までは、腰痛や肩こりに苦しんでいましたが、今は体調もよく、病気で寝込むようなこともなくなりました。合気道のお陰だと思って感謝しています。思い返せば、合気道を始めて、肩に力の入ることが減ったように思います。職場でも、家庭でも肩の力を抜いて付き合うことを覚えました。それが心身をリラックスさせて体によいことを、合気道が教えてくれたように思います。
いつまでも技は下手で、足手まといになりますが、今後ともご指導のほど、よろしくお願い申し上げます。


苦あれば楽あり    衛藤譲二・4級

この度は、昇級試験で4級を頂きありがとうございました。
昨年4月にせいぶ館に入門して以来、たくさんの方々のお世話を受けて稽古ができたおかげです。
合気道はというと、中学生の頃に何故か格闘技に興味がわき、柔道、少林寺、太極拳、相撲等の本を読んだ中に合気道もあったのですが、体が弱かったのと、ずぼらな性格の為、真剣に道場に通うような事は考えもつきませんでした。
それが最近?30歳を越えた頃に自転車に乗り始め、山道を登ったり下ったりしているうちに何となく体力も付き、体を動かすことが好きになっていました。そして例えば、神戸名物の六甲縦走へは友達を引っ張て行き、私より若いその友達が辛そうにしているのを見てさらに自分に自信を持つ、というせこい事もしていました。
しかしそんな事より驚いたのは、おじいさん、おばあさんらしき年の人が長い山道をスイスイと歩いているという事でした。そしてその時に、私もどうせ年をとるのなら、若いもんにびっくりされるような年寄りになりたい、なんて思ったのでしょうか。
そんな事があってからある時、ふと合気道の事が頭をかすめ、やってみようかと思ったのでした。しかしその時は寒い冬だったので、春になるのを待って始める事にしました。ちょっと軟弱ですが、長く続ける為の手段だと思って下さい。
入門してからは足の運び方等が分からず全然動けないし、受身が意外とハードなのでちょっと困っていましたが、今は少し慣れたので、いつも稽古でいわれる、力を抜いた方が技がよく利く、という今までの常識とは正反対の事を自分のものにしてしまいたいと思います。
合気道には分かりそうで簡単には分からない悔しさ、というよりは楽しさがあり、そしてせいぶ館には目標になる先輩方がたくさんいらっしゃり、そして結構な酒も飲めるのでこれからも長く楽しんで合気道を続けていこうと思っています。という事で、皆様これからもどうぞよろしお願いいたします。


24歳、合気道4級    柏木健志・4級

去年の10月頃にくやしいことがあり、やり場のない怒りや悲しみ、自分に対しての腹立たしさを胸に秘め、合気道の稽古に臨んだことがありました。
そして1時間位の練習を終え、「やっぱり、機嫌がよくない時に稽古してもよくないなぁ」と思い、掃除して帰ろうとしていた時に、「柏木君、せっかく来たんやし、投げてもらったら?」との声。僕自身も物足りなさを感じていたので、佐伯さんに投げていただくことにしました。
が、僕の手が取られた瞬間、気が付くと視界が真っ逆さまになっていて、畳に叩きつけられていました。これでかなりスタミナをロスしてしまい、「相手の力を利用して投げるだけではなく、自分から相手の手首を掴んで投げる技もあるんだなぁ」と驚き、「こんなんで満足しちゃいけない」と思い、力の続く限り向かって行きましたが、その度にきつい投げを食らって、簡単にボロボロになってしまいました。
正直言ってくやしかったのですが、それと同時に、僕の心のモヤモヤとしたいじましい気持ちも昇華したような、なぜか妙に嬉しくて不思議な気分でした。
僕は男として人としてまだまだですが、合気道を通じて成長していきたいと思っています。


初めての昇級試験    宮野真紀・5級

私がせいぶ館に真面目に通い出したのは2月、春休みに入ってから。それまでは本当にさぼってばかりいました。せいぶ館のみなさんは親切な方達ばかりで、厚かましくもこのへったくそな私は、しょっちゅう道場に顔を出すことに決めたのです。
初め、昇級試験を受ける気はありませんでした。というより回数が足りなっかったのです。試験をうけても受かる自信はなかったのですが、これを逃せば次は半年後、今回何もせずに次を待つのはいやだったので、「回数が少し足りないんですがいいですか?」と何とか受けさしてもらうことになりました。
今回5級を頂けたことは、先生方の慈悲深さだと思っております。これからも合気道に精進するつもりでおりますので、みなさま方これからもこの私めに愛想尽かさずよろしく御指南のほどお願いいいたします。(ああ、せめてもう少しましな受けがとれるようになりますように‥‥。)


初めて試験を受けてみて    橋本博文・5級

日曜日の稽古の日が昇級試験にもなっていたのは知っていたが、1時間の稽古だけをして帰ろうと思っていた。家にも11時前には帰ると云って出てきた。そんな訳で稽古が終わって帰ろうとしたら、中尾先生に見つかってしまい「橋本さん、昇級試験申し込んでくださいよ」と云われてしまった。こっそり帰ろうと思っていたのに帰れなくなってしまった。どーしよう。何の心の準備もなく慌てて、近くにいる人に尋ねて、5級の技の特訓を数分間した後いざ試験へ。
片手持ち一教だが、なんとかヘタなりにもやり終えて席に戻った。家には11時前に帰ると云っていたのが11時はとっくに回っている。試験の結果も聞かずに慌てて家に帰っていった。
どうせダメだろうが、ひょっとして5級に昇級しているかも‥‥と淡い期待も少しは持ちつつ、仕事が忙しくて中々稽古に行けない日々が続いた。久しぶりに行った稽古の終わりに、昇級した人の名前が呼ばれていて、その中に「橋本さん」と、自分と同じ名前の人が呼ばれていた。まさか自分ではないだろう、と思い返事もしなかったが、どうも他には橋本さんいないらしい。思いあまって、その橋本は僕ですか、と半信半疑で前に出ていって5級の認定証を頂き、あれ、本当なんや、と思った次第です。
私は物覚えが悪いので、もう合気道は止めようかと考えていたが、これを励みにまた頑張る気になりました。みなさん、よろしくお願いします。


合気道と私     西澤荘平・5級


合気道の技を見たとき、私は「こんな技、本当にきまっているのかなぁ」と、初めは半信半疑だった。しかし実際、中尾先生ら有段者や上級者の方に技をかけられると、見た目とは違い、「何で?」と思うぐらい技を上手にきめられてしまう。自分自身も他の上手な人を見て真似しようとするけれども、力が入ってしまいなかなか上手にきまらない。
合気道と再開して1年。技をかけるのも難しいが「受け」をとるのが、最も難しいと私は感じている。上級者は簡単そうにしているが、どうも「受け」がうまくできない。
合気道をしていて、うまくできないなぁ、といつも感じている。だが私は合気道が好きだ。学校や部活の都合で行けない時があるが、できるだけ行くようにしている。
まだ上手に「受け」がとれず、上級者の方々に迷惑をかけることも多いが、これからも続けて合気道を楽しめるようにがんばりたい。


合気道の第一印象     ランディー・ボーリング(Randy Bolling)・5級

今まで13年間空手の稽古をしてきて、空手にはまだまだ学ぶべき事や自分を高めてくれるものが多くあることは分かっていながら、最近何か新しいものを始めなければならないと感じていました。その理由のひとつは、空手は投げ技もあるとはいうものの、稽古時間の大部分は突きと蹴りの稽古を通してエネルギーを集中することに費やされ、相手との間合いは普通1メートルほど離れています。これに対して合気道は、空手とは違った種類の力と、より近い間合いを使っているように見えますし、これは相手に掴まれたり抱きつかれたりしたときにはさらに際立っているようです。私は今まで実際に空手を使う場面に出くわすことはありませんでしたが、もしそんなことがあれば、突きや蹴りではなく、もっとダメージの少ない技が必要なのではないか、と思うことがあり、その答えも合気道が与えてくれるように思えました。これまで、およそ半年間合気道を稽古してきましたが、合気道と空手はとてもよい組み合わせであるといえます。
これ以外にも、合気道を稽古したいと思う理由がいくつかあります。ひとつは空手と同様に、自分自身―自分の強さと弱さ、特に弱さのように思えますが―をさらに深く知ることができるということです。それは空手と合気道の両方の道場で、同様なアドバイスを繰り返し聞いている時です。それは―「リラックスして! 力を入れすぎないこと」「背中を立てて、力を抜いて膝を曲げること」「力を抜いて自然に動く―ガチガチとロボットみたいな動きをしないこと」「腰と丹田の力を使い、力を抜いて、いい姿勢を保つこと」「脇を締めること」そして勿論、いつもの「リラックス!」 これらのアドバイスを守ることはどうしてこんなに難しいのだろうか。しかし、これが合気道の稽古にかりたてられるもうひとつの理由な訳で、ただ単に体を使う稽古をしたり、技を学ぶだけではない、それら以上のものが確かにある。それはメンタルトレーニングと同様なもので、正直言って私が成果を上げてきたとはとても言えないのですが、それは力を抜くこと、心を集中することを学び、自分自身の内部より深く掘り下げ、多分弱さを克服し、人格を強化する機会なのです。
私が出来たか出来なかったかは別として、合気道と空手の両方で好きなことは、例えば「転換」であるとか、空手の「けば立ち」という極めて単純な動きであっても、稽古するたびに何か新しい発見があるということです。合気道と空手双方とも経験を積んだ先生が、たとえ何年も稽古をした後であっても、これらの「単純な」基本動作を完璧なものにするためにさらに努力を傾け続けていることは、武道に限らず芸術(art)として素晴らしいことではないかと考えています。例え我々が決して到達できないかもしれないにしても、完全さに向かって努力することが真の目標であり、実際、最終的に最も価値を持つものは、結果ではなく努力なのです。学ぶべき点のもう一つは、多分決して忘れることはないと思いますが、座り技呼吸法で押したり、引いたり、考えられるすべての筋肉を使う努力をした後で、中尾先生に腕の動かし方と心の集中の仕方を教えていただいたが、最後に一言「そして、スマイル!」この最後の指導は多分、他のものすべてと同じくらい私にとって価値のあるものでした。本当に身体面と精神面の両方で学ぶものが多くあり、よく言われるように、学べば学ぶほどさらに学ぶべきことが見出され、ますます興味が湧いてきます。
これらの点から離れても、合気道の優美で流れるような動きが好きです。実際に、ある日の稽古の後、2人のひとが一緒に稽古しているのを見て、流れるような動きの美しさに心から魅了されました。本当にひとつになって動いているようでした。同時に、その優雅で自然な流れるような動きに加えて、力強く堅固でありながら、力が抜けてよくバランスのとれていることにも感銘を受けました。
せいぶ館の親しみやすく気楽な中にも、誠実で協力的な雰囲気が、合気道を続けて稽古させるもう一つの理由であり、現在皆様からいただく親切なアドバイスとご協力にお礼を申し上げると共に、今後ともよろしくお願いいたします。いつの日か道場の稽古にもっと貢献できるようになりたいと思っています。
この外にも合気道を続ける理由はあるかもわかりませんが、もうこれくらいでいいでしょう。
私が今まで合気道を稽古してきた中でのたった一つの本当の「問題」は、「受身」であり、なかでも「前受身」なのです。はじめは多分簡単だろうと思っていましたが、今や最も習得が難しい動作のひとつであることが分かってきました。時々こっそりと、もし「前受身」さえなければ、どんなに素晴らしい人生が送れることかと夢に見たりしますが、これは多分空気がなければよいのに、などと望むことと同じなのでしょう。せいぶ館で稽古を始めた頃、映画の“SHALL WE ダンス?”をもじった“SHALL WE 合気道?”と題された文章があることに気が付きました。今、私はそう遠くない将来、“SHALL WE 前受身?”という題のもうひとつの文章が書けたらと夢見ています。
最後に、道場の皆様にお礼を申し上げると共に、今後とも、もっともっと一緒に稽古していただけるようお願いいたします。 (訳責・和田)

FIRST IMPRESSIONS Randy Bolling
For the last 13years I've been studying Karate, and although there is still much to learn and improve upon, I've recently felt a need to learn something new. One of the reason is that, while Karate does use throwing techniques, most of the time for training is used learning how to concentrate energy through punches and kicks, and usually at a distance of a meter or so away from an opponent. Aikido on the other hand, seems to involve a different kind of force and at a closer range, particularly when grabbed or held by an opponent. I've also never had the occasion to actually use Karate, but have often wondered what I would do in a situation where less damaging techniques were called for, rather than punches or kicks, and again, Aikido seemed to be a possible answer. So far, in the roughly 6 months I've been studying Aikido, it does seem that Aikido and Karate make a good match.
Besides this though, there are several other reasons for wanting to study Aikido. For one thing, just like Karate, it is an opportunity to learn more about myself, my own strengths and weaknesses, particularly weaknesses it seems, as I keep hearing echoes of the same advice in both Karate and Aikido dojos―comments such as, "Relax! Use less tension.", "Keep your back straight, relax and bend your knees.", "Relax and move naturally, not so stiff and robot-like.", "Use your hips and the power from your 'tanden', and relax, but keep a good posture", "Waki o shimeru.", and of course, just "Relax!". Why it is so difficult to follow this advice, I don't know, but it brings me to the next reason for wanting to study Aikido, and that is, there is obviously more to training than just physical exercise and the learning of techniques. There is the mental training as well, learning how to relax and focus the mind, and the opportunity to discover more about my inner self, perhaps overcome other weaknesses, and develop strength of character, although I can't honestly say that I've been particularly successful in this area either.
Despite whatever successes or failures I've had, the other things I like about both Aikido and Karat is that there is always something new to learn, even if it is in the simplest of movements, like 'tenkan' for example, or 'kebadachi' in Karate. Experienced teachers in both Aikido and Karate, even after years of study, have suggested that they are still working to perfect even these 'simple' basics, and this I believe, is the beauty of any art, including the martial arts―even though we may never reach it, striving for perfection is the real goal, as indeed, ultimately it is not result, but the endeavor that is most rewarding.
Another example of what there is to learn, one which I shall probably never forget, is when, after pushing, pulling, and generally straining all my muscles trying do 'sitting kokyu', Nakao Sensei gave me instructions on how to move my arms and focus my mind and then told me, "and smile!" This last instruction probably helped as much as anything. There is indeed a lot to learn both physically as well as mentally, and like most people say, the more I learn, the more I discover there is to learn, and the more interesting it becomes.
Apart from these reasons though, I also like the grace and flow of Aikido movements. In fact, after training one day, I remember watching two people working together and was almost mesmerized by the smooth beautiful flow of their motions. They truly did seem to be moving as one. At the same time, I've also been impressed with how strong and solid, yet relaxed, and well-balanced certain people are, in addition to the grace and seemingly natural flow of their motions.
The friendly, relaxed, yet conscientious and supportive atmosphere at Seibukan is yet another reason for wanting to continue studying Aikido and I am thankful for the helpful advice and patience everyone has shown up to now and ask for your continued help in the future. I hope that one day I will be able to contribute more to the training at the dojo.
There may be other reasons for continuing to study Aikido, but for now, and for a long time to come probably, these will be enough.
The only real 'problem' I have had with Aikido up to now is "ukemi", particularly "mae ukemi". At first I thought it would be easy, but it's proving to be one of the most difficult moves to master. Sometimes I secretly wished that I wouldn't have to do it and I think even dreamed of how wonderful life would be without "mae ukemi", but then again, that would be like asking for the air I suppose. When I first started training at Seibukan, I noticed an article entitled, "Shall We Aikido?" based on the movie "Shall We Dance?" Now my dream is to be able to write another article, in the not to distant future I hope, entitled, "Shall We Ukemi?"
In closing, I'd like to again thank everyone at the dojo and say that I'm looking forward to training with you more and more in the future.


合気道に入って‥‥      西澤依里子・7級

私が合気道に入ってよかったことは、先生がやさしく、楽しく教えてくれることです。先生が相手になったときは、ちょっとこわいけどとても楽しいです。
また、私は小学生なのに大人のクラスに行けてとてもうれしいです。大人のひとが休憩のときに声をかけれくれるのもうれしいです。
この前の試験のとき、私は2番目に技をするのでとてもドキドキしていました。「間違ったらどうしよう」と思ったけど、いい技ができたのでよかったのです。他の人のを見ているとき、発表はまだかワクワクしました。全員が終わり、先生たちが話し合いをして、発表するときがきました。
私は5級をめざしていましたが、7級がとれたのでとてもうれしいです。前は8級だったので1つあがってよかったです。
これからの目標は、先生の言ったことをよく聞いて、言われたらすぐできるようになることです。これから5級をめざしてガンバルぞ!!

[編集後記]
編集部に強力無比な助っ人が入ってくれました。本号の文章入力は殆ど彼女がやってくれたのです。その名は林芙美チャン。次期編集長に大いに期待しています。(△○↓)

―平成9年度稽古回数ベストテン *道着プレゼント ー
@ 中尾眞吾247回 A中尾明子243回 B品川高宏*239回Cフランクアダムス186回 D福長章*153回 E田中利幸*138回 F古林昌紀119回 G澤邊義典109回 H片山瑞穂108回 I佐伯公宏104回 ...よくがんばりました!!