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(財)合気会神戸支部・開設40周年記念

せいぶ館 演武会・講習会・記念パーティー 開催!

記念写真

演武会 7/12(日)11:45〜13:00 兵庫県立文化体育館

第一部 ・ 中尾眞吾 /神戸支部長

・ 濱崎正司 /神戸支部せいぶ館道場長

第二部 @ 津山合気会 /石田 偉会長以下有志

A 祖父江満 /明倫塾道場長(愛知)
B 若林忠晴 /上智大学ソフィア合気会および葉山町合気会師範・神戸支部OB

第三部 @ 堀井悦二 /神戸三田道場長
A 松村重紘 /紘武館々長
B 竹澤悦男 /合気会本部道場指導部師範
C 遠藤征四郎 /合気会本部道場指導部師範・神戸支部師範
D 植芝守央 /合気会理事長・本部道場長

講習会
7/11(土) せいぶ館
午後 5:00〜 6:30 遠藤征四郎 /合気会本部道場指導部師範・神戸支部師範
午後 6:30〜 7:30 米持英夫 /合気会常務理事・八段・神戸支部創設者

7/12(日) 兵庫県立文化体育館
午前 10:00〜11:30 植芝守央 /合気会理事長・本部道場長
記念パーティー 7/12(日) 14:00〜16:00 せいぶ館


昭和33(1958)年から平成10(1998)年へ
精武館からせいぶ館へ
アマチュア精神にもとづく和やかで明るい気風をいつまでも...

(財)合気会神戸支部・開設40周年記念行事(演武会、講習会、記念パーティー)が、7月11日、12日の両日にわたり挙行され、盛況裏に無事終了いたしました。植芝守央本部道場長をはじめ、ご参加いただいた諸師範、先生方、先輩の皆様方には本当にありがとうございました。この記念行事のために早くから準備していただいた方々もご苦労様でした。以下に演武会と講習会の模様を記事でピックアップしてお伝えします。(写真につきましては40周年記念写真館をご覧下さい。)

植芝守央先生(合気会理事長・本部道場長)のご祝辞

神戸支部設立40周年、誠におめでとうございます。心からお喜び申し上げます。
神戸支部というのは皆さんご存知だと思いますが、道主と米持先生との関係が糸口になりまして、理事をやってこられた山端さん、その流れでその後継承された横田さん、濱崎さん、現在指導を担当しておられる遠藤師範、色々な方の流れでこの40年が支えられてきていると思います。この流れというものを大切にしていただいて、さらに神戸支部がますます開花されることを願っております。

米持英夫先生のご祝辞

皆さん今日は。今年は神戸支部ができましてちょうど40周年になります。今日は東京から、財団法人合気会の理事長であり本部道場長でいらっしゃいます植芝守央先生をお迎えして40周年をお祝いすることになりました。誠におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
私は昭和32年の暮れに会社の関係で神戸に東京から転勤して参りました。で、翌年の33年の4月に、先般亡くなられました、皆様方もお世話になった横田先生が学校を終わって三菱重工に入社されましが、現道主から私の所に電話がありまして、三菱の横田っていう人が君を訪ねるからちょっと相談にのってやってくれ、ということでした。横田さんが来られまして、話は要するに、二人で神戸で合気道を始めようということでした。
ところが皆さんご存知のように、昭和30年頃に合気道なんてほとんど誰も知らなかった。神戸で合気道知っている人は一人もいなかったといっていいと思います。まあ始めるにあたっては道場が要るわけですが、我々は貧乏で道場も道場を借りるお金もなかった。たまたま神戸銀行の隣に朝日会館というところがありまして、そこに勤務していたものですから、その上に、10畳ほどの昔宿直の方が泊まっておられた畳のボロボロの部屋がありまして、そこを私の会社の人が探してくれてそこで始めました。10畳ありましたが、畳がぼろぼろですぐ足を突っ込むような畳だったのです。
そこで横田さんと始めたんですけれど、とてもこれじゃだめだ、道場を探そう、ということでお金がないからただのところでないといけない。警察なんかがいいんじゃないか。たまたま私の友人が県警本部の課長をしてまして、彼のところへ行って上司に電話してもらったら、じゃあ水曜日と土曜日かな、週2回だけ貸してあげると言っていただけたわけです。
ところが借りたはいいけれどメンバーは二人しかいないのですよ。しょうがないんで、私は私の会社の人を連れてきて、横田さんは横田さんの会社の方を連れてくる、ままごとみたいな合気道やってたわけです。私は株式を扱っていたものですから、お客さんの中で知り合いの人に来てもらって、まあとにかく見てください、ということで見て頂きました。
その中に井上さん、庄司さんとか、濱崎さん、そういう方がいらっしゃいました。たまたまご昵懇にして頂いていた山端先生に、これは面白いじゃないか、俺もやる、ということで若い人を何人か集めてこられて、でなんとか2、30人になりました。そのうちにこれではしょうがない、自分のところに道場を作り、そこでいつでも稽古できるようにしよう、という山端さんのご厚意でご自宅の隣の庭に道場を作ってもらったのが精武館の始まりです。それが昭和34年でした。
それから私は転勤で北海道に参りましたもんですから、後は横田先生にお願いをして、それから色々な方、本部からも色々手助けをしていただいて、本部から遠藤先生がきて指導して頂くことになったわけです。4年前に阪神大震災で道場が被災し、その後、中尾先生はじめ皆さんが頑張っていただいて今の新しいせいぶ館道場ができた。そして今日まで続いた。そういう次第です。
結局はっきり申し上げれば神戸に私が種をまいた。一つの種が今大勢の方につながって、神戸で相当の数の方やってらっしゃると思います。今日こうして皆様と一緒に40周年をお祝いできることは非常にうれしい限りです。ただ残念なことは、山端先生、横田先生がお二人とも...。おそらく今日は天国からしっかりと見ていただいていると思います。ありがとうございました。

中尾眞吾・神戸支部長 あいさつ

おはようございます。40年前といいますと、インスタントラーメンができた年でありまして、香港では出前一丁がラーメンの意味だそうです。ラーメンと全然関係ないんですが...。
米持先生が神戸支部を作られて延々と、本当にずっと楽しい合気道、楽しい合気道の道場でやってこれました。本当に翁先生はじめ、道主、道場長、諸先生方、諸先輩の方々のおかげと感謝しております。これまでも楽しい合気道を実践してきたのですが、今日もっともっと楽しい一日になれたらと思っています。


植芝本部道場長の講習会でのお話

皆さん合気道を長い間やってらっしゃる方ばかりですから、細かいことは必要ないと思いますが、基本の技を中心に説明したいと思います。
自分の持っている力をしっかりと出す鍛練法、呼吸法で養った力、呼吸力を自分の中心に持ってくるように。
合気道の基本技の四方投げ、入り身投げ、一教をやらせてもらいました。呼吸法は色々変化していきます。自分の力を出しやすいところがあると思いますので、自分の中心にうまく導いてほしいと思います。
呼吸法から一教、二教につながっていきます。基本の流れは全部いっしょです。
転換、捌き、これが基本となっていろんな技につながっていきます。体さばきと呼吸法をしっかり身につけていただきたいと思います。


米持先生の講習会でのお話

一教、入身投げ、四方投げ。この基本をしっかりマスターして、どんな人がきても必ず勝てるという力をつけてください。だんだんグレードを上げていく。そしてまた元に戻って、初心に返って稽古しましょう。
必ず「捌き」と「崩し」と「技」の3つが必要です。どんな武道でもそうです。柔道でもぱっと相手を引き付けますし、相撲でもそうですよ、まわしをとって引き付けます。重心が上がると一番弱いんです。合気道の場合は、次に俺が投げるんだとか、稽古でお互いよくわかってますが。実際にひとつひとつ相手をしっかり崩してください。3つがしっかり一緒になるように、捌き、崩し、投げる。
手というのは縦には強く、横に弱いんです。相手の弱い方、弱い方へいけばいいわけです。転換法というのはまさに相手の力の弱いほうへいくことです。相手の弱い方、弱い方へ、相手の重心が崩れるように相手を崩しにいく。
四方投げでも、一教でも、入り身でも、全部そうですけど、相手の重心を動かしていく。これはどんな武道でも同じです。相撲でも柔道でも相手を持ち上げます。座技呼吸法は単に押し合いにならないように。何種類もやり方があります。受けの向こうの壁を押すようにやります。
必ず元に返ってください。元に返って四方投げを、一教、入り身投げをやりましょう。他のことを沢山覚えても何にもならない。基本の技を繰り返し繰り返し稽古しましょう。合気道とは結局基本の技をどれだけ繰り返せるかです。必ず元に戻って一教、四方投げを繰り返してください。
それから、今日見てて思ったんですが、皆さんは肩に力が入り過ぎです。オフィスにいるような気分で力を抜いてください。家にいるつもりで楽にしてください。相手を意識すると肩に力が入ります。合気道というのはどうして力を抜くか、力を抜く稽古です。力を抜いて、基本に戻って、それから、技の中には相手の崩しを入れる。それだけです。

遠藤師範の講習会でのお話

最初に型で、こんな風に手を取る、と習うからみな手を取りますね。それは習う合気道ですからしょうがないのです。習う合気道から使う合気道にしていくにはどうすればいいのか。そういうことを考えない人は必要ないのですが…。ただ気をつけないといけないのは、どの技も大抵90パーセント以上は皆受けを取れる。それで何も考えない。あとは呼吸力という訳の分からないものでカバーするわけですが、呼吸力ってなんですか。わかる人はほとんどいないと思うんです。
もっと具体的には、基本技を一つづつやっていく。一教はどうする、四方投げはどうする、それぞれの技はどうする。また今度は推理的になってくる。こうなったらどうする、そうなったらどうする。そんな風に抽象的な部分が強くなってくる。それは習い始めはしょうがない。しかし、20年たっても30年やっても基本技を大切に稽古しています、というのはどうか。
日々の稽古はいつも基本技を大切にやっている、稽古の時はその技を大切にやっている。そのことは非常にいいことですし、また、そうでなければいけないというところもある。ところもあるということは、5級をとったときの基本技の一教と20年後の基本技の一教と同じことをやっているかいないか、ということに本人は気がついてない。受け取ってくれる後輩にはうまくいっているから、うまく後輩は受けを取っているからそれでいいよと。確かにうまくいっているかもしれない。しかしもっと疑問を持つべきだと思います。
基本技、技というのは誰が考えたのか。私たちはみな翁先生だと思っているのですが、多分その前からあったと思うのです。ということは翁先生も武田惣角から習ったかもしれない。武田惣角も誰かから習っている。その技というのは名前は違うかもしれない。一ヶ条とか一教とか、名前は違うかもしれない。少しずつ違ってきているはずなんです。たぶん創始者それぞれ、武田惣角が大東流の創始者であるかどうか知りませんが、あるいは嘉納治五郎という創始者や、植芝盛平翁という創始者にかって流れてきたその技がちょっと違うものを受け継いだ。ちょっとじゃないかもしれない。気がつけばちょっとしたことだと思うんですが、たぶん気がつかないからかなり大きな違いがあるというイメージを我々は抱きがちなんですけど。
何が違うかというと、もっと間接的に、あるいはもっと直接的にということではないか。こういうものが創始者それぞれ違うじゃないのかと思います。武田惣角にしても嘉納治五郎にしても翁先生にしても、それぞれ創始者というのは感覚が違う、というふうにしか考えられないのです。
感覚的なあるいは直感的な世界に入ったら、いつまでも「一教はこうしたらいい」「二教はこうしたら効くよ」と、そういうことばかりを言いながら20年も30年もやってる人ばかりだと、停滞あるいは硬直化あるのみになってしまいます。
私も天地投げは昔、いろいろ習って困っていたんです。下の手はこうやって崩せばとか、上の手をこうやれば相手はこうなるととか。でも最初にそう習ってきたからしょうがない、そんなもんかと思ってました。ああいう姿勢になるとここ(下腹)が一番気になってしまう。そこが一番大事だといわれてきているのに、それが気になることはいいことなのか。よほどこれ(下腹)が判らない人がそういうことをしてたんでは、という思いしかないです。
翁先生はもっと小さいのにやってきたのですよ。天地投げをどうされたかっていうそれ一つを追求すれば、たぶんすべてが分かってくるのではないかと思います。私はそんなわけで上の手が大事であると言いたい。下の手は従うしかないんです。下の手はそんなものしかないんです。
あとはもっと高い場所へ、自分が大きくなるしかないんです。これができるかできないかはその人の感覚の問題で、普段の稽古をどうされているかという問題だと思います。私よりもっと大きい人であっても私が相手の上に乗るぐらいの気持ちです。次にそこまでどういうふうに上げていくかですが、少なくともあまり気が出ているわけじゃないですね。腕でもないですし、指先でもない。
でも、気も出しっぱなしでは疲れちゃってしょうがないので、その時がある。今、今、今の連続です。いつ出すかは、その人が自分で感ずることであって、自分のバランスが崩れるのではしょうがない。なおかつ自分の気持ちの問題があって、揺れてるといいますか、さっきのように持たれたら、持たれただけでかちんとなるというところがあるんです。そいうものを克服していかないと、持たれたらがっとしていると、普段の稽古の積み重ねというのは何もない。何もないんです。ただの運動なんです。そういうところを克服していくことが稽古の第一の目的があるはずなんです。
道を行うというのはとんでもないことで、ちなみに道というのは行うことであって学問の積み重ね、知識の積み重ねであるんだそうです。行うというのはどう行っていくか、日々減らしていくこと、減らしに減らしに減らしていってしかるのちにできるようになる。
何を減らして行くか。今、あるいは今までやってきたことは、自分の力をできるだけ出さないようにすること。自分の我を、自分の感情をできるだけ出さないようにする、ということだけ考えてきているつもりなんです。
気が出ていく。気なんてやる気があれば出ているもんですから、部分的に出したってしょうがない。もっと大事なのはここ(下腹)だろうということ。いつその部分を出すか。さっきやりましたけど、どっか集中すれば十分に出るんじゃないか。わずかなことです。
そのタイミングは柔らかくやってないと決して感じられないんです。強くやっていると、力強くやっていると、自分の好きなことを好きなようにやっているだけなんです。まさに自分の我を貫いているわけです。相手との関係、出会い、そういうことを無視してやっていることなんです。
これ一つつかむために30年やってきたんだと思います。

時は偉大なり、40周年 松平秀利・四段

今年、神戸支部が開設されて40年目を迎えました。今から40年前といえば昭和33年。
この年に私が「オギャー!」と産声を上げたのでありました。その私が縁あって合気道の稽古を始め、かつ神戸支部40周年の歴史の流れに加われたことを光栄に思います。
「私の記憶が確かならば(少し古いがどこかで聞いたセリフ…)」私が入門したのは昭和51年の1月だったと思います。その当時の道場は、40周年行事のパンフレットの中に載っていた写真のようにいかにも「町道場」という感じでした。
その頃道場で稽古されていて、演武会当日本当に久しぶりにお会いできた井上留治郎さん、古希を迎えられ益々意気盛んな村上さんをはじめ、多くの先輩方が稽古をしておられ、よくご指導を受けました。
私はその時は、まだ初々しい高校生でした。そしてその時の井上さんは確か60代ではなかったかと思います。私より遥かにお年を召された井上さんの姿を目の当たりにして「よし、井上さんの年齢まで稽古を続けよう!」と思ったものでした。
本当にここまで稽古を続けることができたのは、ひとえに井上さんをはじめ多くの先輩方の稽古を通しての無言のご指導のお陰であると感謝しています。
40年という時を経た現在、本当に多くの人々が集い、新しい入門者の方々も増えてきています。今ではかっての神戸支部精武館を知っている人も少なくなりつつありますが、諸先輩方が築かれたよき伝統と精神を、私なりにもし伝えていくことができれば幸いです。
私は合気道というのは日本が生んだ素晴らしい武道、文化であると思います。その大変素晴らしい合気道に触れることができたことに大きな喜びを感じます。
そして、非常に不安定なこの社会において、時としてその不安定さに流されそうになる自己を見失わないための一つの方法として、合気道を続けていきたいと思います。
最後に、演武会当日共に司会の大役を務めていただいた榎本さんを始め皆様にお礼を申し上げます。

40周年を迎えて 山崎昭彦・参段(インターネットバージョン

 せいぶ館40周年、私が入門したのは昭和50年、中学2年の時だった。入門のきっかけは平野町に住むいとこが始めたのがきっかけだった。
 当時は子供も大人も区別なく一緒に稽古をしていた。当時、一番いやだったのは畳を敷くことだった。旧精武館は剣道場を兼用していたので毎回、毎回畳の上げ下ろしは必須だった。時には一人で全部敷いたこともあった。寒い冬の日は皆来るのが遅く19:00過ぎても一人も来ないと言う日もあった。2人だけで稽古したという日もあったし畳を敷くのがのが面倒だから板の間で稽古したということもあった。振り返ると、当時の稽古は受身だけで1時間とか、人を並べて何人飛べるかとか、膝行1時間とか平気でやっていた(いや、やらされていたと言った方が正しいかも?)。関節もきしむまで曲げられたり、四教で手首があざだらけになる、今で言う「おもろない稽古」をしていたのかもしれないが今となっては懐かしく思う。
 当然このような稽古をしていたのであるから続けて合気道をする人間は少ないに決まっている。私も一時期精武館を離れていたこともあったが、何を思ったか、他にすることがなくなったのか定かではないが、またこうして合気道をしている。「何故、日曜の朝から畳を叩きにいかなあかんのか」それは合気道が好き、合気道をしている仲間が好きだからである。好きになるまでにはかなりの時間がかかる。それも昇級、昇段と共に新しい会員が増え自分が先輩になり、わからぬままアドバイスしている自分。知らず知らずのうちに上達していくものである。
 今一番うれしいことはやはり「畳を敷かなくてよい」「毎日稽古がある」この2点は他の道場ではなかなか出来るものではないと思う。「毎日稽古がある」ということは自分の出来る時間に自由に稽古が出来る。社会人にとってこれほど有り難いことはないのです。
 「せいぶ館」で稽古されている皆さん、今後出会うかもしれないインターネットを閲覧している方、よろしくお願いします。


真っすぐな合気道  古殿英介・二段

 何年か前にある清酒のテレビコマーシャルの中で北大路欣也さんが「酒も男も女も真っすぐがええ」と言っていたが、私はこの文句の中の「真っすぐ」という言葉が大好きであった。そのコマーシャルをみる度にその言葉に聞き惚れていた自分を思い出す。私は合気道を再び始めて3年程になるが、最近この「真っすぐ」という言葉は合気道にぴったりあてはまるような気がしてならない。
御存知のように合気道は相手の腹と自分の腹を合わせるところから技が始まる。当然お互いの背中が曲がっていては腹をつき合わせることができない。私もせいぶ館に通い出した頃、稽古の中で背中が曲がっていることを、支部長を始め各指導者の方々から口やかましく注意された。最初は何故注意されるのかその意味がわからなかったが、稽古を重ねるうちに先にも書いたようにその意味が理解できるようになった。
とかく人間は疲れていたり、悩んだり、落ち込んだりすると背中を丸める習性があるみたいだ。合気道の稽古で私も疲れてくるとふと背中が曲がりかけることもあるが、合気道は相手と向かい合えば絶対それは許されない。このような稽古を続けていると、普段の生活の中でも自分の姿勢が正されていることにも気がつく。姿勢が正しければ、悩んだり落ち込んだりすることもなく前向きな考え方もできるようになるのではないだろうか。
 せいぶ館は今年で記念すべき開設40周年を迎えた。私のせいぶ館での合気道はまだ3年足らずであるが、これからも姿勢を正し、「真っすぐな合気道」を心掛け稽古に打ち込んでいきたいと思っている。

合気道との出会い 香崎広宙

 雑誌かなにかで小柄な老人が大柄な青年を軽々と投げ飛ばしている写真を見たことが、合気道に興味を持ったきっかけだったように思う。
 その華麗さに興味を持ちながらも始めるきっかけを逸していたが、4月の初めに一念発起し、神戸の合気道場をインターネット検索したところ、偶然見つかったのが「せいぶ館」だった。
 道場に行って見学し、見たこともないような変わった準備体操から始まり、聞いたこともない呪文のような名前の技をバッタンバッタン繰り返しているのを見ていると、自分にはとても出来ないことのように思えた。
 さらに実際にやってみると見かけ以上に難しいことがわかり、また受け身の痛さには閉口したためやる気を失いそうになったが、しんどいことをしているにもかかわらずみんなの顔は楽しそうで生き生きとしており、そのなんともいえずいきいきとした顔を見ていると、もう少し続けてみたいという気が起こってきた。
 しばらく続けていると痛みもなくなり、しんどい中にもなにか「楽しい気持ち」がわいてきて、「楽しい気持ち」が何なのか説明がつかないうちに3ケ月が過ぎ、そこには合気道を好きになっている自分がいた。
 考えてみると、ふとしたきっかけでせいぶ館で合気道を始めることができ、以前よりも充実した毎日を過ごし、多くの人達に会うことができた。何十年も続けている先生方、先輩方にもそんなきっかけがあったのだと思うとうれしいようななんともいえない気持ちになる。
 そんなきっかけを大事にしながら、40年もの歴史を持つ「せいぶ館」で楽しい合気道を皆さんと一緒にしていきたいと思っています。
 先生方、先輩方、今後ともよろしくお願いします。

翁先生の技を夢見て  久河浩也

「なんや、これはー!」とても衝撃的な出会いでした。4人の男が1人のおじさんに何回もかかっていくのに、触れた瞬間にみんな倒されたり、投げられたりしていたのです。テレビで放送されたシーンに私はとても引付けられました。
 私は柔道が最強だと思ってやってみたことがありました。しかし、ほとんど何もわからずに7ヶ月やって途中でやめてしまいました。
 そんな私には、そのおじさんの技がとても新鮮で不思議な感じがしました。オリンピックに出るような柔道家でもこれはできないと思いました。そのおじさん(塩田剛三先生)の技が合気道だったのです。それからは、塩田先生の本やビデオをたくさん見ました。そして、初めて開祖・植芝盛平翁先生のことを知りました。
 翁先生がとてもすごい人だったことはわかりましたが、どれくらいすごかったのかは本だけではわかりませんでした。 そこで、『植芝盛平と合気道』というビデオの第二巻を買いました。翁先生の流れるような技がとても美しかったのです。特に、入身投げ、7人掛けのシーンにはジーンときました。武道というより、合気道の芸術的な美しさに私はますます惚れ込みました。「俺も翁先生みたいになりたい。合気道をモノにしたい!!」
そんな気持ちが爆発して私はせいぶ館に入会しました。実際にやってみて、翁先生のすごさが身をもってわかりました。ドタバタとうるさく、肩に力が入り、下手をすれば相手を傷つけてしまいそうな、そんな私の合気道と翁先生との差の大きさを実感する毎日です。
 しかし、いつかは私も流れのある芸術的で美しく、思いやりのある合気道ができるようになりたいです。そんな高い目標に向かって、これからも私は稽古に通いたいと思います。

「トライやる・ウイーク」  神戸生田中学2年生の合気道体験記

中学生が事業所やボランティア、地域の人々との触れ合いや、実体験を通して学校だけでは得られない生きた学習をしょうという、神戸市の「トライやる・ウイーク」で、せいぶ館にも神戸市立神戸生田中学校の2年生が訪れました。彼らの合気道体験レポートの一部を紹介します。<7/8 10人、7/9 7人参加。指導陣は中尾、中尾明、佐伯、アダムス、榎本、徳山>

・ こんにちは。7/9はどうもお世話になりました。合気道なんか初めてで、ちょっとドキドキしてて、私のイメージは声を「ハァー!」とか出して、体をそんなに動かさないようなんだと思ってて、実際やってみると、どっちかというと柔道っぽいのにビックリでした。皆さんが初心者の私たちを優しくご指導してくださったお陰で、色々と勉強になりました。本当にありがとうございました。(曽根千佳さん)

・ 今回のトライやる・ウイークで体験した合気道はすごくおもしろかったです。不良にからまれても安全だと思います。本当にありがとうございました。(辰巳敏仁君)

・ 合気道の指導などありがとうございました。私は前から合気道をやってみたいな、と思っていたので今回合気道ができて、本当にうれしいです。みなさんはおもしろくて、優しく教えてくださったので、とても楽しく合気道ができました。またいつか機会があれば、ぜひせいぶ館で合気道をしたいと思います。貴重な体験ありがとうございました。(前川恭子さん)

・ 合気道を手取り足取り教えてくださって、まことにありがとうございました。皆さんが教えてくださった合気道の技はどれもとても痛かったです(笑)。しかし、その「痛さ」の裏に優しさが伝わりました。本当にありがとうございました。(吉岡浩志君)

激励img村上さん 古希記念パーティー 激励img

旧・精武館で会計を長く勤め、子供クラスの指導にも力を注いでいただいた村上さんの古希記念パーティーが多数の参加者を集め、8月2日(日)の稽古の後、元町の割烹・花隈で行われました。以下に参加者の声の一部を神戸弁のまま収録しています。

(打越) 最近新しい人増えましたが、若い菅原君と片山さんが発起人でこういういい会ができたいうことはいいことやなぁ思います。いつまでも現役で、体に気をつけて頑張って下さい。

(片山) おめでとうございます。先生には子供クラスの時にお世話になって...。村上先生のほうには女の子も男の子も列がずーっとできるんですけど、中尾先生は追いかける方。私も子供クラスをちょびっとだけお世話さしてもらったんですけれど、村上先生みたいにもてなくて…。女の子にもてたんだけど、男の子にはクソババァっていわれて、なかなか難しかったんです。

(菅原) 気がつけば中尾先生が怒ってて、村上先生が座ってにこにこしてました。

(中尾明)精武館のときは何にも感じずに会計から何からすべて村上さんにポイポイ渡して、後は自分はもう稽古してたらいいと思ってたんです。それが、せいぶ館になって初めて出席簿を書いてみて村上さんのお仕事が、30年近く大変だったなというのを今ほんとに感じています。長い間ありがとうございました。

(松平) 70になっても、合気道まだまだできるんだという、一つの凄いお手本を見せていただいておりますんで、私もできる限り続けていきたい思うてます。私が70の時は村上さん100歳なってますでしょうけれども、あのせめて、膝行できなくても立ち技でボンボン相手を投げてくれればと思います。「まいった」いうても100歳ぐらいの人が40代の人投げとったら困るんで…。まあそれぐらい頑張って下さい。

(松田)右手に見えますのは中指で。ああ、違うんか。すみません古いギャグでした。私、職場で働いててこのような元気な人がいらっしゃるゆうのは、みんなこういう人だったらいいなあと思います。こんな元気な人いません。はい。ええ、老人病棟です…。あの理想の人だと思います。できれば今度私の職場で合気道の、あの一緒に演武会をやっていただきたいです。

(中尾)表に出ない裏で動く。裏で動くいうても必殺仕掛人とかそんなんではなしに、極楽とんぼな私達皆を支えてくれたんが、村上さんやなかったんちゃうんかなぁて思うてます。世の中支える人は御輿の上に立つ人ではなしに、支える人、ほんで支える人よりもその人らを応援してくれるひとで、それが村上さんではなかったんちゃうんかなあ思てます。

(村上)本日は私のために古希のお祝いということで、皆さんありがとうございます。ま、考えてみるといつの間にか年月がたって、もう70という歳になっていましたけれども、その間よくまあ続けてこられたなあと自分ながら驚いているような感じです。せいぶ館の独特な雰囲気がありまして、和気あいあいと稽古できたっていうことだと思います。最近ちょっと稽古さぼっておりまして。膝の病気の関係もあるんですけど、どっちかというとプールの方へ行ってます。プール行くとですね、もう若い女性ばかりですから…。